ホーム 特集 あの瞬間、歴史が生まれた

あの瞬間、歴史が生まれた

一覧

みやざきスイートピー物語(上)

2017年3月23日

香りや収量魅力 日本一の産地に


スイートピーの収穫を伝える1986年の宮崎日日新聞

スイートピーの収穫を伝える1986年の宮崎日日新聞

 今にも飛び立ちそうな蝶の形に見えることから花言葉は「門出、優しい思い出」。イタリア・シチリア島生まれのスイートピーは今、日本一の産地「宮崎県」で白やピンクなどさまざまな色や品種の花を咲かせている。昨年度の生産額は5億円。全国に流通する半数以上が本県産で、生産量、生産額ともに全国一位だ。県内最大の産地・JAはまゆうでは現在、29戸、5ヘクタールで45品種を栽培、生産額は3億円と県全体の6割を占める。

市場拡大に追い風

 栽培が始まったのは1983(昭和58)年。日南市吉野方、増田博信さん(84)が先駆者だ。当時、南那珂農業改良普及センター普及員だった壹岐哲雄さん(68)=JA西都営農指導員=によると、増田さんは前年に兵庫県淡路島であった花の展示会でスイートピーに出会った、という。1アールで試作した「ダイアナ」を初めて見た壹岐さんは直感する。「香りが良く、造花のように美しい。重さがなく、収量も多い。将来性のある花でおもしろい」。すぐに「地域で広めたい」と増田さんに協力を求めた。壹岐さんは研修会や本で学びながら、花き栽培では南那珂地区初の栽培指針を作り上げていった。

 追い風も吹いた。花が長持ちする延命剤の開発だ。日持ちが良くなれば、消費地から離れた本県のような遠隔地でも商品化が可能となる。原産地シチリア島に似た温暖な気候も生産の拡大を後押しした。また、前年にヒットした松田聖子さんの「赤いスイートピー」によって花の認知度も全国へと広がっていった。

化粧品の原料にも


20170323-DSCF7285.jpg

「日本一のプライドを持ち、栽培を続ける」と話す那須真二さん

 86(同61)年には11人が「スイートピー生産組合」を結成。35アールで栽培、出荷が始まった。壹岐さんは事務局を担当し、種の手配や市場調査などに心血を注いだ。88年には33戸、288アール、生産額は1億円を超え、栽培戸数は年々増加。2000年のJAはまゆう花卉部会加盟者数は57戸、10㌶と最多を迎え、04年から2年間、生産額はついに6億円を超えるまでとなった。

 JAはまゆうも独自で販売促進に尽力。市場や仲卸業者に売り込みを図ったほか、全国チェーンの花屋や量販店でのキャンペーンを実施。07年から化粧品の原料としての取り扱いも始まり、スイートピーの新たな可能性が見えた。一昨年3月には「花き日持ち品質管理認証制度」を取得し、一大産地としての付加価値も高めた。

 20年前から父・平次郎さん(86)の跡を継ぎ、30アールで8品種を栽培する日南市風田、那須真二さん(58)は「高齢化や価格変動など乗り越えないといけない試練もあるが、日本一の産地というプライドを持って、さらに若い世代が受け継いでいけるよう努力を続ける」と将来を見据える。