みやざきスイートピー物語(上)
2017年3月23日
香りや収量魅力 日本一の産地に
スイートピーの収穫を伝える1986年の宮崎日日新聞
市場拡大に追い風
栽培が始まったのは1983(昭和58)年。日南市吉野方、増田博信さん(84)が先駆者だ。当時、南那珂農業改良普及センター普及員だった壹岐哲雄さん(68)=JA西都営農指導員=によると、増田さんは前年に兵庫県淡路島であった花の展示会でスイートピーに出会った、という。1アールで試作した「ダイアナ」を初めて見た壹岐さんは直感する。「香りが良く、造花のように美しい。重さがなく、収量も多い。将来性のある花でおもしろい」。すぐに「地域で広めたい」と増田さんに協力を求めた。壹岐さんは研修会や本で学びながら、花き栽培では南那珂地区初の栽培指針を作り上げていった。
追い風も吹いた。花が長持ちする延命剤の開発だ。日持ちが良くなれば、消費地から離れた本県のような遠隔地でも商品化が可能となる。原産地シチリア島に似た温暖な気候も生産の拡大を後押しした。また、前年にヒットした松田聖子さんの「赤いスイートピー」によって花の認知度も全国へと広がっていった。
化粧品の原料にも
「日本一のプライドを持ち、栽培を続ける」と話す那須真二さん
JAはまゆうも独自で販売促進に尽力。市場や仲卸業者に売り込みを図ったほか、全国チェーンの花屋や量販店でのキャンペーンを実施。07年から化粧品の原料としての取り扱いも始まり、スイートピーの新たな可能性が見えた。一昨年3月には「花き日持ち品質管理認証制度」を取得し、一大産地としての付加価値も高めた。
20年前から父・平次郎さん(86)の跡を継ぎ、30アールで8品種を栽培する日南市風田、那須真二さん(58)は「高齢化や価格変動など乗り越えないといけない試練もあるが、日本一の産地というプライドを持って、さらに若い世代が受け継いでいけるよう努力を続ける」と将来を見据える。