鳥の尾羽のようなシルエットを見せるフェニックス
南国情緒あふれる観光宮崎のシンボル
長く大きな葉を陽光がまぶしく照らす。宮崎市中心部をゆったりと流れる大淀川沿い。そこに続くフェニックスの並木道は南国情緒が漂い、観光客や市民の心を和ませる魅力にあふれている。正式な路線名は市道川原通線。同市橘通東1丁目から松山2丁目までの800メートルで、通称「橘公園通り」と呼ばれる。もともとこの河畔一帯は旅館や料亭、遊郭などが立ち並ぶ歓楽街だったが、1945(昭和20)年8月の宮崎大空襲で消失。復興の土地区画整理で県と建設省(当時)は川岸公園化を決め、宮崎交通がフェニックス植栽や遊歩道を整備して54(同29)年に完成した。
公園のシンボルは青と白、赤と白のストライプ模様のテント「ロンブル」で、フランス語で「日陰」を意味する。公園ができた前年に宮崎交通に入社した元常務取締役渡辺綱纜さん(80)は、建設中の橘公園を新人研修で見学。そのとき「観光宮崎の父」岩切章太郎社長から設置した理由を聞いた。「『これからカメラはカラーフィルムの時代。フェニックスの緑とカラフルなロンブルで景色に彩りを与え、記念写真を撮ってもらいたい』。そう熱く語っていました」と回想する。
フェニックスは現在約60本。樹齢が増し近年、害虫対策もあって維持管理は困難を極め、専門業者が高所作業車を駆使し作業する。宮崎市から業務を委託されている馬原造園建設の日高敏裕工事主任(54)は「この公園は先人がつくり上げた観光宮崎の顔。いつまでも美しく保ちたい」と情熱を注ぐ。
【メモ】文豪川端康成がNHK連続テレビ小説「たまゆら」の執筆で訪れた際、夕景に感銘を受け滞在期間を延長したエピソードが残る。花壇は季節の花で彩られ、ロンブルや遊歩道のライトアップで夜景も楽しめる。