小布瀬の滝までの散策道を照らすちょうちんの明かり。渓流にもやわらかい光が映り込んだ
産業道観光地に再生
飫肥杉で知られる日南市を東西に走る国道222号。市街地から西へ走ると、坂元棚田などで知られる同市酒谷地区へ。夜、同国道からわきに入ると、地元有志によってライトアップされた石橋「大谷橋」が幻想的に浮かび上がった。車で走ると気付かずに通り過ぎてしまいそうな橋だが、基幹産業だった飫肥林業を支えた貴重な建造物でもある。地元では新たな観光資源として保存活動が高まっている。
物資の輸送が活発になってきた1889(明治22)年の建造とされる。同市では飫肥石と呼ばれる火山の噴火によってできた溶結凝灰岩を使用していると見られる。全長22メートル、幅4・3メートル。水面からの高さは14メートル。
県南と県西地区をつなぐ主要道路として整備された同国道は、1971(昭和46)年のバイパス開通まで生活、産業道路として活躍。同橋も、時代とともに大型化した車両を見詰め続けてきた。
壁石をピラミッドのように、斜め(角度14度)に積み上げているのが興味深い。同市の堀川橋や都城市の鍋谷橋などは垂直の造りになっている。なぜ斜めにしたのか。
日本石橋を守る会の宮田隆雄さん(58)=同市飫肥=によると、「石橋は上方からの加重には強いが、横からの力には弱い」と石橋の特徴を説明。大谷橋が架かる大谷川は酒谷川の支流で、「日南ダムができるまでは、大谷川もかなりの流量があり、水圧による崩壊を防ごうという石工たちの知恵の結晶では」と推測する。
日南御三家で知られる飫肥林業。酒谷地区に多くの山林を所有していたのが、その一つの服部家。大谷橋より西側に広がっており、多くの木材が荷馬車やトラックに積まれ、この上を搬出されていった。同地区の石山政徳自治会長(74)は「荷台からはみ出すほどの長材(長さ約13メートル)を積んだトラックが石橋を行き交っていた」と当時を懐かしむ。
26年間放置されていた同橋。97年には、地元の地域おこしグループ「やっちみろかい酒谷」(日高茂信会長、15人)は「地域の宝」と復旧に着手。毎夏、橋周辺の草刈りを行いライトアップも。「棚田と小布瀬の滝などと絡めた新たな観光ルートにしたい」。再び脚光を浴びる日は近い。(写真部・宮本武英)