野生種の山桜は日本に10種類ほどがあり、個体変異が多く開花時期も異なりさまざまな花を付けるという=16日、樫本、吉瀬さんの山

地道な植林生きがいに 大淀川山桜の里づくりの会

 宮崎市高岡町の市街地を過ぎ、都城市高城町との市境辺りに来ると、景色は大淀川の浸食による渓谷の様相を呈し、見上げるほどの山容が目に飛び込んでくる。訪ねたのは宮崎平野の西の端、宮崎市高岡町面早流(もさる)地区。国道10号から脇道に入り山道を登ること10分。眼下に大淀川の雄大な流れ、遠くには日向灘や霧島連山が望める場所にたどり着く。杉と山桜の幼木が植えられた、この地区に住む吉瀬文男さん(78)の山だ。

 吉瀬さんは2000年、郵便局を退職すると、地域活動や趣味を楽しんでいた。「人生100年。ならば、自分はあと25年」。3年ほど前にふと思い立ち、自宅の裏山に2・5ヘクタールの荒れ地を購入し、新たな生きがいである杉の植林を始めた。しかし同じ頃、妻アヤ子さん(82)が不運に見舞われる。脊椎を圧迫骨折して寝たきりになり、トイレも吉瀬さんの介助が必要になってしまった。吉瀬さんはアヤ子さんに山の景色を見せて元気づけようと、抱きかかえ車に乗せ山に向かった。

 それから2人は毎日のように植林がてら山へ行くようになり、春の芽吹き、初夏の新緑、晩秋の雲海、冬の夕焼けと自然に包まれ過ごした。するといつしかアヤ子さんは、自らの足で車に乗り込むまでに回復を見せたという。「山行きがリハビリになったと思う」と吉瀬さん。

 ある日、山で一人の男性と出会った。宮崎市跡江で弱った樹木の回復に携わる樫本壽士さん(74)で、近くに7・5ヘクタールの山を購入し植林作業をしていた。50歳から地域に尽くそうとボランティアで植林を始めた樫本さんは、縁あってネパールで5回も活動を行った植林の大先輩だった。それまでに数千本もの樹木を各地に植えてきた。中でも山桜にほれ込み、苗作りも行っていた。

 2016年、樫本さんは、吉瀬さんらを誘い山桜の名所、奈良県吉野を訪れた。壮観な景色に皆感動し、樫本さんの山桜への思いが吉瀬さんにも伝わった。宮崎に戻ると杉の間に樫本さんの育てた山桜を植えた。2人は早々に「大淀川山桜の里づくりの会」を発足させた。吉野に負けない風景をこの地に造り、大きく育った山桜や雲海、夕日を見に多くの人が訪れることを夢見ている。

 吉瀬さんは昨年、さらに7・5ヘクタールを買い求めた。樫本さんと育てた苗を植えるのだという。活動の始まりは家族のため、地域のため。2人の地道な山桜の里づくりは壮大な事業として花を咲かせつつある。