工房は回転蔟がずらりと並ぶ昔ながらの光景が広がる=5月14日
若い担い手、作業に熱 綾で繭作り最盛期
養蚕を手掛ける「綾の手紬染織工房」(綾町、秋山眞和主宰)で、今シーズンの繭作りが最盛期を迎えている。カイコガの幼虫・蚕を育て、生糸の原料となる繭を取る養蚕業。近代国家の礎を築いた一大産業だったが、県内で伝統を受け継ぐのは2軒だけとなった。昔ながらの技術と道具が息づく同工房を訪ねると、蚕や繭の魅力に取りつかれた若い担い手が汗を流していた。養蚕期を迎えた4月下旬。工房に入って4年目の二上拓真さん(25)が、ふ化したばかりの蚕の“赤ちゃん”を水鳥の羽根で掃き集めていた。ふ化から約3週間後には繭を作り始める蚕。繭の出来は桑を与えるタイミングや量の見極め一つで左右され、最終製品の織物の質に影響する。それだけに一つ一つの工程で気を抜けず、作業には自然と熱がこもる。
国富町出身の二上さんが同工房に入ったのは「作品にほれ込んだから」。東京農工大在学中、東京の物産館で目にした「藍染めの染織物」の美しさに心奪われた。織物の糸は、日本古来の在来種で皇居の御養蚕所にも伝わる「小石丸(こいしまる)」が生み出したもの。「美しい作品をつくるだけでなく、日本の伝統を守る仕事に就きたい」と工房の門をたたいた。
5月に入ると、2ミリほどで黒い糸くずのようだった蚕の赤ちゃんは、大量の桑をむさぼって約10センチの幼虫に成長。工房内は紙で作られた格子状の「蔟(まぶし)」が無数に並び、そこを幼虫がはい回る。自分の部屋が決まると、いよいよ繭作り。サナギになる過程で体内から繊維を吐き始め、格子の中でピーナツ形の真っ白な繭が出来上がる。
この間、桑畑の草取りや収穫、染織用の藍の仕込みなど、工房も慌ただしさが増してくる。
「年をとっても続けられるなりわいを身に付けたい」。二上さんやパート従業員に交じり、そんな思いを抱いて“修業”に励むのが、東京からのIターンで養蚕農家を目指す森田綾さん(40)だ。養蚕を学びたいと、1年半前から養蚕期だけ作業を手伝うようになった。
古来、養蚕農家は本業の傍ら副業として蚕を養っていた。森田さんが目指すのも、そんな昔ながらの姿。実際、別の会社に勤務しながら、工房に出入りする。私生活では子育てにも追われるが、「蚕の冷たくて気持ちいい肌触りや足の吸盤に吸い付かれる感覚に癒やされる」と笑う。
1960年代以降、化学繊維に押されて衰退し続けてきた養蚕業。だが近年は、良質な天然の糸が見直され、人工血管や化粧品の素材として活用されるなど、新たな活路も開けてきた。美しい絹糸を紡ぐ養蚕に魅了され、伝統を受け継ごうと奮闘する2人。「日本の原風景を守っていきたい」と力強く口をそろえた。