海上安全の神である塩土翁(住吉三神)が祭られ、元来、立磐神社の御神体とされていた巨石。高さ8メートル、周囲15メートルの大きさに神の存在感が漂う

神武天皇が航海の無事祈る

 立ち並ぶ旧家の白壁が朝日に染まり、古雅な情緒に包まれる。日向市美々津町には、カムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)の「お舟出の地」伝説が色濃く根付く。潮風を受け石畳を歩くと、日向神話の最後の舞台が広がる。

 伝承では、神武天皇は海上安全の守り神塩土翁(しおつちのおじ)から東方に都を移すよう勧められる。45歳の時、航海の無事を祈願するため、宮崎の宮居から美々津に入った。

 美々津の北部、耳川河口に鎮座する立磐神社には高さ約8メートル、周囲15メートルの巨石がありひときわ存在感を放つ。かつて、その岩には東遷を勧めた塩土翁(住吉三神)が祭ってあったという。

 美々津が出発地に選ばれた理由について「巨石ネットワーク日向」の緒方博文代表(57)は、「航海の安全祈願に加えて、ニニギノミコトより先に天下ったニギハヤヒノミコトも美々津から舟出し、大和へ向かった。安全な同じルートをたどったのではないか」と想像する。

 神武天皇は出発の好機を待った。旧暦8月1日未明、潮の流れと天候が良くなり、急きょ決意。辺りに「起きよ、起きよー」と声が響き、床を蹴って起きた人々は浜辺へ集まり旅支度を調えた。古事にちなんで、多くの風習や文化、地名などが今に残る。

 8月1日、子どもたちが短冊を付けたササの枝を打ち振り、家々を回る「おきよ祭り」もその一つ。美々津の歴史的町並みを守る会の大山恭平会長(77)は「神武天皇の伝説は住民の誇り。ゆかりのある史跡や風習をしっかり継承していく」と力を込める。

 舟出の際に通過した沖合1キロ先に浮かぶ小島と灯台のある竜神バエは「お舟出の瀬戸」と呼ばれ、灯台は神に供える灯火「神のみあかし」として美々津を象徴する。

 歴史は神代から人の世に移ったが、神話は暮らしの中にいつまでも息づいていくだろう。

【メモ】国の重要伝統的建造物群保存地区。江戸時代から明治時代にかけ、交易と文化交流の拠点として栄えた港町。その歴史資料を収集、展示する日向市歴史民俗資料館(電話)0982(58)0443。

=おわり=