歴史が深く豊かな山容は登山者だけでなく歴史愛好家からも親しまれている(中央が可愛岳、右は烏帽子岳)

ニニギノミコトが眠る地の象徴

 天に対峙(たいじ)する巨石は、神を弔う墓標を思わせる形状だ。延岡市と同市北川町の旧市町境に位置する可愛岳(のえたけ)=標高727メートル。その頂には「鉾岩(ほこいわ)」と呼ばれ、古代日向人にあがめられた場所がある。天孫ニニギノミコトが眠るとされる、この地の象徴として今も語り継がれている。

 鉾岩は高さ約170センチ、幅90センチの花こう岩で、どっしりと据わりが良い。ニニギノミコトは葦原中国を治めた後、亡くなると「筑紫の日向の可愛の山陵(みささぎ)に葬られた」と日本書紀は伝えている。

 同市北川町長井の児玉剛誠さん(70)は「日本書紀に可愛山陵(陵墓)の記載があることしか分からない」とした上で、可愛岳一帯が聖域だったのではないかと想像する。「神々に由来する地名がたくさんある。字名の可愛(かあい)と愛手(なでて)は、ニニギノミコトの妻コノハナサクヤヒメが出産し、子どもたちを『かわいい(可愛)、かわいいとなでた(愛手)』ことに由来する」と児玉さん。

 古墳時代より前の話では「第10代崇神天皇と第11代垂仁天皇は勅使を遣い、可愛山陵の奉祭に参拝したという」と同町長井の俵野(ひょうの)公民館長の夏田隆義さん(67)は地域の人々と共に口伝する。

 1896(明治29)年、明治政府は可愛岳の麓にある経塚古墳を含む周辺一帯を御陵伝承地(現在は北川陵墓参考地)とした。これ以外にも、神話と強い結びつきを持つ長井の俵野と可愛地区では、陵墓に関して諸説があり、可愛岳や山頂の三本岩、そして鉾岩が挙げられる。

 山の頂に立つと周囲を遮る物はなく爽やかな風が吹き抜けた。北川を望み、壮大な御陵伝説を胸に刻んだ。

【メモ】可愛岳の麓、延岡市北川町長井俵野地区には宮内庁が指定する「北川陵墓参考地」が鎮座する。地元では平安後期から伝わる御陵祭が毎年4月3日にあり、11月初旬には可愛岳登山祭が行われている。