1940(昭和15)年に建立された皇軍発祥之地碑が夜明けの空にシルエットとして浮かび上がる
神武天皇が東征前英知育んだ住居跡
タブノキやカゴノキが茂る鎮守の森は、穏やかで輝きに満ちている。宮崎市下北方町の平和台公園南側に広がる住宅街。そこに日向神話最後の主役カムヤマトイワレビコノミコト(神武天皇)が住んでいたとされる場所がある。宮崎神宮の元宮「皇宮神社」が鎮座、古来「皇宮屋(こぐや)」と呼ばれ大切に守り継がれてきた。神武天皇は高原町の狭野で生まれ、皇太子となる15歳の時、この地に移ったという。宮崎神宮の社伝によると、その後、東征に向かう45歳まで過ごしたとされる。東征の戦略を兄イツセノミコトと相談した地ともいわれるが、史料は無く、記紀にも記されてはいない。
地元の歴史を研究している「下北方の歴史を訪ねる会」編集委員長押川定次さん(80)は「ここは台地になっており、大淀川の氾濫による浸水被害の心配がない。辺りには弥生時代の古墳や江戸時代の代官所跡もあり、昔から生活の要所だった」と話し、「神武天皇もまつりごとの傍ら、しっかり休めたのではないか」と思いをはせる。
神社を囲む約1ヘクタールの森。透明な光が注ぎ込む朝、住民らが癒やしを求めて訪れる。大切にされているのだろう。境内を歩くと、落ち葉一つないことに気付く。
宮崎市東大宮の会社員平野恭子さん(63)は15年前から皇宮屋の清掃が日課。「ここに来ると心が落ち着く。自然と一体になるようで、自分が生きていることに感謝できる」と木々を見上げ、深く息を吸い込んだ。
神武天皇は30年間の長きにわたって、この地で何を考え、何をしたのか。宮崎平野と大淀川を眺め、東方に古代王権を築き上げる英知を育んだに違いない。
【メモ】皇宮神社の社殿は神武天皇を祭る。1976(昭和51)年に伊勢神宮の古殿舎の用材を使い改築した。旧社殿は現在地から西に40メートルの位置にあった。創建は不明。1847(弘化4)年再建の記録が残る。