乾いた風や大根栽培に適した土壌など、田野町には干し大根作りの好条件がそろう

昼も夜も 手間惜しまず

 しんしんと冷え込む夜、宮崎市田野町の畑に点在する竹製の大根やぐらが月明かりに浮かぶ。収穫後、鰐塚おろしにさらし、乾燥させる大根干し。雨よけのシートを掛けたり、夜間には凍結防止のためストーブを並べたり、生産者は手間と工夫でうま味を増していく。

 やぐらの一つに近づきシートをめくると、中は別世界のような暖かさ。つららのように垂れ下がる干し大根をストーブの明かりがほのかに照らす。深夜2時に火入れ作業をしていたのは同市田野町乙、農業野田悦男さん(57)。野田さんのやぐらは全長150メートル、高さと幅は6メートルあり、田野町最大で、6万4千本を干すことが可能だという。

 野田さんはこの道40年。干し大根は漬物に加工後、関東、関西などに出荷する。

 気温が0・7度以下になると野田さん宅のブザーが知らせ、ストーブを付けに来る。凍結させると廃棄しなければならず管理には気遣う。

 大根の出来は天気や気温に左右されるため、作付けの間隔を変えるなど毎年が試行錯誤。

 「作業は昼夜を問わないから、体力が持たん」と笑いながらも「大根の表面にきれいに細かいしわが入っていると、うまいのができたとうれしくなる」と充実感をにじませる。

 一方、後継者不足は深刻。同市田野総合支所によると、干し大根の生産農家は1985(昭和60)年ごろの600戸をピークに、30年間で144戸にまで落ち込んだ。同支所農林水産課の里脇次雄係長(45)は「高齢生産者がやめると周囲が張り合いを失い、『そろそろ自分も』と言いだす。荒廃地を出さないよう努め、生産量を上げることが重要」と指摘する。

 この地だからこその、やぐらのある風景。干し大根生産日本一を守り、作り手の情熱を絶やさないという地域の思いは強い。

【メモ】大根やぐらが登場した昭和30年代ごろには、5、6段に組んでいたが、現在は11段組みにすることが多い。当初は杉などを使い組み立てていたという。畑では干し大根の時季以外、タバコや甘藷(かんしょ)、里芋などの作付けが盛んに行われている。