山の斜面に茶畑が広がる「地下の茶山」。向かいの山からは、海岸線が背後に迫る美しい景観を望める
新産業求め傾斜地開拓
急傾斜の山肌に鮮やかな緑の曲線を描くように茶畑が広がる。背後には、延々と連なる山並みと入り組んだリアス海岸が迫り、美しい景観をつくり出す-。「早出し茶」の産地として知られる延岡市北浦町・地下地区。一番茶の摘み取りは5月初めに終わり、これから二番茶の時季に差し掛かる。「地下の茶山」。住民が親しみを込めてこう呼ぶ茶畑は、旧北浦村時代の1969(昭和44)年、国の事業を活用して開拓が始まった。音頭をとったのが、当時、村長を務めていた故・松井繁夫さん(享年91)。生前、本紙取材に「地下を何とか発展させたかった」と開発の動機を振り返っている。茶の生産を発展の起爆剤と位置付け、役場職員に生産方法や流通を学ばせながら、製茶工場も建設。地域も一体となり、産業創出を推し進めた。
茶畑の開拓は2年を費やし、実際に収穫できるようになるまでには、さらに時間を要したという。しかし、海岸沿いの温暖な気候は栽培に適し、県内でもいち早く収穫できる。漁業のほか目立った産業のなかった地域は、早出し茶の産地となっていった。
現在、地下地区は4戸の生産農家が約880アールの畑で「やぶきた」などの品種を栽培。収穫時期には5、6人一組となり、刈り取り機を手に若葉を摘み取っていく。平地とは違い、急勾配の段々畑では乗用の大型機械は入れない。このため、摘み取りや袋詰めなどを分業しなければならず、人手がかかる。
収穫を終えたばかりの「生葉」は、工場で「粗茶」に加工。生産農家の一人、工藤若夫さん(66)は、粗茶を市場に出荷するほか、自ら火入れして最終製品に仕上げ、顧客に直接販売する。粗茶を乾燥させる火入れは、温度の加減で味や香りが変化し、好みが分かれる。工藤さんの味を求め、毎年、町外から買いに来てくれる人も多いが、「お茶を飲む文化が廃れたのか、昔より買う人は減った」と表情を曇らせる。
北浦総合支所によると、地下を含め、町内3地区のお茶農家は11戸。ほとんど60〜70代で、後継者がいるのは1戸にとどまる。工藤さん自身、後継者はいない。それでも「この景色が無くなるのは寂しい。地下の早出し茶を大勢の人に知ってもらい、後世に残していきたい」と見据える。
【メモ】 北浦町内で生産された「粗茶」の昨年度の市場出荷実績は4458キロで、販売額は828万円。このうち、地下地区産は3792キロ、748万円。同地区では例年、4月上旬から中旬に一番茶の収穫を迎える。温暖な気候で遅霜の影響がないため、県内他産地に比べて1週間から10日ほど早いという。