まるで天空に向け語り続ける口を思わせる「御鉾の窟」。穴の中は1畳分の広さがある

神武天皇が鉾を納めたと伝わる大岩

 こけむした大岩を横に切り裂いたかのような穴が、まるで天空に向け語り続ける口を思わせる。神武天皇が鉾(ほこ)を納めたと伝わる大岩「御鉾(みほこ)の窟(いわや)」は、日南市平山の駒宮神社に鎮座する。

 同神社は幼少期の神武天皇が過ごした少宮趾(しょうぐうし)とされ、愛馬物語の舞台。シャンシャン馬発祥の地としても知られ、古くから地元住民らの信仰を集める。

 境内左奥の階段を上り長田山へ。ひんやりとした風が吹き、静けさに感覚が研ぎ澄まされる。やがて地元で神聖視される大岩が姿を現した。

 大岩は高さ約8メートル、幅約5メートルで、山肌が露出した部分。納められたとされる鉾は、旅立つ神武天皇が地域への感謝と五穀豊穣(ほうじょう)を願ったものだったのだろうか。

 同神社の宮浦敏麿・総代会顧問(85)は「子どもの頃は鉾が埋まっていないか近くを掘って、しかられたこともあった」と懐かしむ。神武天皇が愛馬龍石(たついし)を放した場所が4キロ北の立石で、日本最古の牧場と称される。江戸時代には牧奉行が置かれ、駒追いの際、着飾った多くの農耕馬が同神社に参りにぎわった。踊りの奉納もあり、シャンシャン馬の由来とされる。

 伝説は味としても現代に溶け込んでいる。神武天皇が食し喜んだとされるもち米菓子「煮花(はぜばな)」は、ほのかな甘みと香ばしさが特徴で親しまれている。

 また、神社奉賛会が年に2回、30人ほどで神社の清掃活動を継続しているなど地域との結びつきは根強い。幼少期の神武天皇が過ごした風景を、大切に守り引き継ぐ住民の強い思いとぬくもりを感じた。

【メモ】煮花はもみ付きもち米を鉄鍋で熱し、はじけ膨らませるもち米菓子。毎年2月の最終日曜日に駒宮神社で豊作祈願の煮花祭があり、「食べるお守り」として参加者に振る舞われる。