通勤通学の車や自転車でにぎわう朝の橘橋。約130年前、橋を架けた福島が想像した通り宮崎市の発展を支える大動脈となった
市民生活見守り、雄大な景観観光客を魅了
「出先から帰る途中、橘橋を渡るとホッとする。『お帰り』と言われているような気がしてね」。宮崎「橋の日」実行委員会事務局長の鶴羽浩さん(52)は、九州有数の1級河川、大淀川に架かる橘橋をそう表現する。宮崎市の目抜き通り「橘通り」と結ぶ橋は、交通の要衝として市民生活を見守り、川を望む雄大な景観で観光客を引き付ける。初代の橋が架かったのは1880(明治13)年。大淀川を渡る手段が渡し船だった時代、川の南側にある中村町の医師福島邦成が「都市が発展するには橋は欠かせない」と私財を投じ木橋を架けたという。通行料を取り維持したが、4年後の豪雨で流失した後、県が架け替えている。
現在の橋は6代目で1979(昭和54)年に完成した。長さ389メートル、幅28メートル。国交省宮崎河川国道事務所によると、橋脚を減らし増水対策を強化。現在、耐震工事を施し「100年橋」へ手入れを欠かさない。4車線化され1日約3万4千台(2010年調べ)と県内有数の交通量を誇る。
春はコリウス、秋はアキランサス、冬はビオラ。歩道の花壇は植え替わり、橋に彩りを添える。管理する宮崎市花のまちづくり公社の関屋淳さん(56)は「目につきやすい鮮やかな植物にしている。よそ見しない程度に楽しんで」と話す。橋のたもとにワシントニアパームの並木が連なり「南国らしさとすっきりした街並みが共存し、いい眺め」。熊本市から単身赴任中の会社員杉本浩二さん(62)は心を和ませる。
旅立ちの春―。宮崎を離れる人、新しく生活を始める人が行き交い、さまざまな思いが橋上に交錯する。
【メモ】宮崎「橋の日」実行委員会は橋の日の8月4日、橘橋周辺で献花や打ち水などイベントを開催。福島の業績をたたえる紙芝居を作り、顕彰活動にも取り組む。事務局TEL0985(72)2730。=おわり=