コノハナサクヤヒメが三皇子を産んだとされる無戸室。クスノキの太い幹や勢いある枝葉が、火中での生命誕生のエネルギーを感じさせる

コノハナサクヤヒメが三皇子産んだ場所

 大きく枝を広げたクスの巨木は、風にあおられる猛火のごう音のように枝葉をざわめかす。空と大地を支配する荘厳なたたずまい。その姿に、燃えさかる炎の中で出産したというコノハナサクヤヒメの激情が浮かび上がる。

 西都原古墳群に近い西都市三宅・石貫地区の一角にある50メートル四方の広場。そこは無戸室(うつむろ)と呼ばれ、コノハナサクヤヒメが戸口のない産殿に火を放ち、山幸彦、海幸彦ら三皇子を産んだ場所とされている。

 ニニギノミコトと一夜の契りを結んだコノハナサクヤヒメ。身ごもったとき「自分の子か」と疑うニニギノミコトに対し、火中で出産して証しを立てた。無戸室に立つクスノキは、そんな気の強い女性の魂が乗り移ったかのようだ。市巨樹・巨木100選によると、幹回り5・8メートル、樹高18メートル。樹齢300年と推定される。

 この地区で生まれ育ち、市観光ボランティアガイド協議会副会長を務める竹之下裕子さん(64)は「子どものころ、この場所を火柱殿(ひじゅどん)と呼んでいた。火柱が立つほど激しい炎に包まれた中で出産されたのであろう。そうとも知らず、木登りやソフトボールをして遊んでいた」と話す。竹之下さんの父で元石貫公民館長の横山昇さん(故人)は自著「西都市『記紀の道』」の中で「鋤(すき)や鍬(くわ)を入れたら、たたりがあると伝えられる」と記し、神聖な地であると紹介している。

 公民館では年6回、地元の史跡を大切にしようと清掃活動に取り組む。竹之下さんは「この地に住む者として、伝承を後世へ伝えていく役目がある」。そう言って誇らしそうにクスノキを見つめた。

【メモ】西都市は「記紀の道」として、都萬神社から西都原古墳群の男狭穂塚・女狭穂塚まで約4キロの遊歩道を整備中。無戸室のほか逢初川や児湯の池など記紀由縁の地が点在する。2015年に完成予定。