平飼いで伸び伸びと過ごす地鶏。南九州地方では、採卵鶏や身近な食材として親しまれ飼われてきた。ここ野尻町三ケ野山には昔ながらの光景が今も残る
ふっくらジューシー自慢の大衆料理
炭火が命―。豪快な炎と白煙を立ち上らせ、ふっくらジューシーに焼き上げられた「地鶏の炭火焼き」。炭の香りと脂の乗った鶏のうま味が食欲をかき立てる。今や県内各地で食され、言わずと知れた郷土料理だ。近年の東国原知事によるトップセールスは記憶に新しく、農林水産省は2007年、都市と農山漁村の交流を図るため全国各地で“ふるさとの味”を選定。「農山漁村の郷土料理百選」に認定している。
地鶏が庭先を駆け回り、日光浴をして伸び伸び過ごす。農山村では数年前まで、各家庭で飼育する所も多く、地元で育った鶏を地鶏と呼んでいた。鶏は捨てる部分が無いことで昔から「歩く食材」として重宝され、本県では煮付けや刺し身、チキン南蛮、炭火焼きとバリエーション豊富だ。
鶏のもも焼きが大衆料理として普及した経緯は、戦後、県庁前で名物となっていたスズメの焼鳥屋台が始まりといわれる。スズメの禁猟期間に鶏のもも肉を替わりに用いた。当時、屋台を営んでいた故・前田トモエさん=元祖焼鳥丸万本店の創業者=が「アジの開き」をヒントに、一本焼きにして広がった。
1960(昭和35)年に新婚旅行で訪れた島津久永・貴子夫妻がひそかに味わったことが雑誌で紹介された。キャンプで来県するプロ野球選手も舌鼓を打った。その後、全国的に鶏の消費が増え、本県養鶏業界でも肉質の軟らかい若鶏の生産を拡大。県民食の代表格に成長していった。
今や、観光客の土産として定番にも。みやざき物産館の営業課長・牧嵜智子さん(55)は「知事の誕生から2年、地鶏の炭火焼き商品を含む鶏の加工品は品数が増え現在約50種。就任前と比べ売り上げは約15倍と人気です」と、知事のPR効果を再認識している。
先人から伝わる自慢の郷土料理。庶民の味が全国へと広がり、「地鶏の炭火焼き」は大きな変ぼうを遂げた。(写真部・米丸 悟)
【メモ】特定JAS規格で地鶏は国内品種の血が50%以上。1平方メートル当たり10羽以内で、80日以上飼育したものと規定。本県では「みやざき地頭鶏」が代表的。郷土料理百選には、冷や汁も認定されている。