島を囲むように白波が押し寄せ紺ぺきの海に浮かび上がって見える青島。山幸彦、豊玉姫、塩椎神の三神をまつる
海神宮から山幸彦が戻ってきた地
空と海のグラデーションが島の緑を柔らかく包み込む。宮崎市南部の日向灘に浮かぶ青島。山幸彦が海神宮(わたつみのみや)から戻ってきた神聖な地とされ、鬼の洗濯板やビロウの原生林が南国情緒を醸す本県を代表する景勝地でもある。古事記では、兄の海幸彦に道具を借りて釣りをしていた山幸彦が、釣り針を魚に取られてしまう。兄に責められ困り果てていたところ、塩椎神(しおつちのかみ)に出会い海神宮に行くことを勧められ、そこで豊玉姫と結婚。山幸彦は3年を過ごした後、釣り針を見つけ出し帰ってきたという。
山幸彦は自らの剣を砕き1500本も釣り針を作って償おうとしたが、海幸彦は決して許さなかったと伝えられる。郷土史に詳しい県文書センター主席運営嘱託員の永井哲雄さん(77)は「生活の糧となる狩猟道具をいかに重要視していたかがうかがえる」と説明する。
本県観光の人気スポット青島も、例大祭を除き、一般の人が自由に立ち入れるようになったのは1737(元文2)年から。それまでは、藩主でも履物を脱いで入島しなければならなかった。島中央部にある元宮にいたっては貴賓のみが入れる聖域で、自由に参拝できるようになったのはここ40年のことだ。青島神社の長友安隆宮司(37)は「この島は本来、とても神聖な場所。心を落ち着けて参拝し神々が宿る島の空気を感じてもらえれば」と話す。
山幸彦は海中での3年間、夢のような生活を楽しんでいただけなのか―。永井さんは神代に思いを巡らせ、現実に即した見方をする。「製鉄技術は大陸から伝わった。国内に優れた伝承地があったとすれば、山幸彦は納得いく針ができるまでそこに修業に出ていたのではないか。そう考えると時間的なつじつまも合って面白い」
【メモ】青島の外周は約1キロ。ビロウを中心とする植生は青島亜熱帯性植物群落といわれる。1952(昭和27)年、国の特別天然記念物に指定された。青島神社境内には、ろう人形を使い神話世界を再現する日向神話館もある