朝霧に浮かぶ賢所。海幸彦が乗ってきた磐船がこの森のどこかに埋まっているという
海幸彦たどり着き治めた地
霧が立ち込める山里の朝、小さな森は海原に浮かぶ小島のようになる。日南市北郷町北河内の山あいにある宿野地区。その森は海幸彦が山幸彦から逃れ、流れ着いたとされ、地域の人々は古来「賢所」と呼び、あがめ祭っている。神話では、弟の山幸彦が兄の海幸彦に借りた釣り針を漁の途中でなくし、それが原因で兄弟間に確執が生まれる。この地の伝承によると、争いに敗れた海幸彦は、頑丈な磐船(いわふね)で満ち潮に乗り賢所にたどり着く。以来、「潮嶽の里」と呼ぶようになったという。
賢所を守る潮嶽神社は、海幸彦を主祭神とする全国でも珍しい神社。その目の前にある賢所の由来には諸説あるが、宮司の佐師正朗さん(56)は「昔、カシの木の根元に地域共同の水源『井のこ』が湧いていた。『カシの井のこ』がなまって『かしのっこ』になったのではないか」と言う。さらに、尊く畏れ多い場所の意味で賢所(かしこどころ、けんしょ)の文字を充てたと推察する。
現在、森は約30メートル四方に広がり、オガタマやシロの木など常緑樹が生い茂る。南側に水路のような跡は残っているが水源はない。だが大木にしめ縄が張られ、人を寄せ付けない神聖な空気が漂う。
県文化財保護審議会会長の甲斐亮典さん(83)は「宿野地区の神社や神所は信仰や生活の拠点だった。修験者が修行で訪れ楽市楽座も開かれ、自然を守るよりどころだった」と説明する。
「森には磐船が沈み、中に入ると障りがある」と語り継がれている。「大切な水源や自然を守るためだったのではないか」と佐師宮司。釣り針が争いの種になった伝説にちなみ、住民は縫い針の貸し借りをしない。この地を長年にわたり治めたという海幸彦は、今も人々の心に生き続けている。
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【メモ】古事記には「海幸彦が隼人族の祖となった」と記されている。宿野地区では、潮嶽神社に初宮参りをする際、赤ちゃんの額に朱で「犬」の文字を入れる。これは隼人族の古俗といわれている