「リチウムイオン電池の半分は延岡で生まれた」と語る吉野彰さん=1月17日、延岡市・旭有機材
「リチウムイオン電池の半分は延岡で生まれた」。ノーベル化学賞を受賞した旭化成名誉フェロー・吉野彰さん(71)は今年1月、旭有機材であった講演会で延岡市を訪れた際、宮崎日日新聞のインタビューにリチウムイオン2次電池の発明に、旭化成発祥の地である延岡が深く関わったことを明かしていた。
吉野さんの開発した技術の大きな柱の一つは、電池の負極に炭素素材、正極にコバルト酸リチウムという、全く新たな材料の組み合わせを見いだしたことにある。
川崎技術研究所(川崎市)で小型、軽量で充電可能な新型電池の研究・開発を進めていた1983(昭和58)年ごろ、吉野さんは負極に使う良い素材が見つからずにいた。そんな中、延岡市の旭化成岡富工場内にあった繊維開発研究所で特殊な炭素繊維(カーボン)を開発していることを聞き、サンプルを送ってもらった。
「その結果がすこぶる良かった。研究段階ですぐには使えなかったが、同じような結晶構造のカーボンであればいい、というのが初めて分かった」と吉野さん。最適な負極の素材が見つかったことで開発が大きく前進したという。
また、商品化に向けて安全性を証明したのは、ダイナマイトなど火薬類を試験できた東海工場だった。「川崎は石油コンビナート地区なので安全性試験はできない。試験中、何が起きてもダイナマイト以上のことは起こらないだろうということで東海工場を選んだ」と笑う。同工場で、電池に激しい衝撃を与えるなどして検証を重ね、安全性を実証したという。
吉野さんは「本当に無理をお願いして試験をしてもらった。ずいぶんお世話になった」と感謝。「延岡は新入社員研修で約1カ月滞在し、社会人の一歩を踏み出した地。電池の開発中には何度も通った」と懐かしんだ。
一方、リチウムイオン電池の部材であるセパレータとして日向工場で製造されている、フィルム状の多孔質材料「ハイポア」も当時、川崎技術研究所の吉野さんの隣の研究室で偶然、開発中だった。
「試作してもらい、生のデータをフィードバックして問題点を直してもらう」(吉野さん)というように、互いに協力して研究を進める中で実用化への道筋を付けた。「材料メーカー・旭化成の強みを生かしユーザー、サプライヤーの関係ができたのが大きかった。電池メーカーだったら、おそらく開発できなかった」と振り返った。