「吉兵衛」の名前が記された書簡を手に取る所有者の谷口さん(左)と宮本さん=5日午前、宮崎市高岡町内山
江戸時代に薩摩藩領だった宮崎市高岡町の民家から、西郷隆盛直筆の書簡が見つかり、鹿児島県の研究団体から真筆と鑑定された。西郷が数年間だけ名乗った「吉兵衛」の名前が記され、専門家は「西郷自身が『吉兵衛』と記した史料は数点しか確認されておらず、非常に貴重」と話している。書簡は23、24日と4月27日から5月6日まで、同町内山の天ケ城麓地区武家住宅で一般公開される。
書簡は、高岡郷士・谷口彦五郎のひ孫に当たる谷口建蔵さん(78)=宮崎市島之内=の実家で「西郷さんからの手紙」として代々、大切に保管していたもの。NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が放映されたのを機に、昨年5月から郷土史家らの協力を得て詳細を調査していた。
縦約15センチ、幅約40センチで、差出人として「西郷吉兵衛」の名前が記されている。2月12日に筆跡鑑定した「西郷南洲顕彰会」理事の高栁毅さん(78)=鹿児島市=によると、西郷は30歳前後の数年間、父親と同じ「吉兵衛」を名乗っていたという。
書簡は谷口彦五郎宛てで、「江戸で開かれる奉納相撲に彦五郎の付き人を出場させてほしい」と依頼する内容。日付は9月29日としか書かれていないが、西郷と彦五郎が江戸に滞在していた1856(安政3)年に書かれたとみられる。高栁さんは「若さが残る粗い筆跡だが、西郷の字の特徴が現れている。相撲好きだった西郷らしい依頼で興味深い」と分析する。
谷口さんは「西郷さんの直筆と信じていたが、本物と分かりうれしい」。天ケ城麓地区武家住宅の管理に携わる宮本貴代平(きよへい)さん(69)は「新しい地域の宝ができた。武家住宅を訪れる人々に、高岡と西郷さんの接点を知ってもらいたい」と話している。