ドローンで上空から撮影した復旧作業。一番上のショベルカーを操縦するのが米衛さんで、さらに崩落部分の最上部まで上った=11月4日午前、日南市宮浦(富岡建設提供)
10月末に日南市で大規模な土砂崩れが発生し、通行止めになった国道220号。通行再開まで2週間かかったが、工事関係者が「この人がいなければ、復旧にもっと時間がかかっていたはず」と口をそろえるのが、同市の土木作業員米衛(こめえ)政義さん(69)。ショベルカーの高い操作技術を駆使し、急斜面を高さ約80メートル地点まで上り、復旧の妨げとなった最上部の岩を除去。早期の通行再開に大きく貢献した。
台風22号による今回の土砂崩れでは、同市宮浦の鵜戸小中学校南側付近で幅100メートル、高さ約80メートルにわたり斜面が崩落。最上部付近に直径1、2メートルの岩が複数残り、落下して二次災害を招く危険があったため、当初は復旧のめどが立たなかった。
米衛さんは、同市の富岡建設(柳橋恒久社長)で、36年間にわたり重機操作をこなすベテラン。経験と勘から、目視で最上部にショベルカーを到達させるルートを見いだした。最大傾斜が約60度にもなる急斜面を、上から土砂をかき落として重機の周囲に積み、傾斜を緩やかにして登り切った。
岩を下に転がして取り除き、落石の危険性がなくなったことで、復旧作業は一気に進んだ。工事関係者によると、復旧作業には作業員を入れ替えながら、1日当たり最大40人が参加。このうち、危険な高所、急傾斜の現場で作業できたのは米衛さんだけだったという。
同社は国道220号の災害復旧事業を長年担っており、米衛さんも土砂崩れが発生するたびに、急傾斜地といった困難な場所に上がって土砂や流木の除去などに当たってきた。「余人をもって代え難い」(柳橋社長)と頼りにされる。
今回、復旧を大幅に早めた功績が認められ、国土交通省宮崎河川国道事務所は11月末、米衛さんに感謝状を贈った。災害復旧事業で個人が対象となるのは初めてだった。
米衛さんは感謝状には「大変光栄なことでありがたい」と喜ぶ一方で、来年70歳を迎えるのを機に、一線を退こうとも考えている。近年は腰の痛みが増すなど体力の衰えも目立つ。ただ、自分のように、険しい場所で作業できる後継者が育っていないのが心配という。
「国道220号は地域の人たちにとって、とても大事な道。退職しても体力の続く限り、呼ばれれば復旧作業を加勢したい」と力を込めた。