防衛増税1兆円
2022年12月14日
◆国を危うくする予算膨張だ◆
岸田文雄首相は、防衛費を国内総生産(GDP)比で2%へ増額する財源として、2027年度以降に年1兆円強の増税を実施すると表明した。適切な増強か内容の議論が生煮えなまま、「聖域化」で予算規模を急拡大するためだ。財政悪化が一層進みかねず、国を危うくする予算膨張と言わざるを得ない。
中国や北朝鮮の軍事的脅威に加え、ロシアによるウクライナ侵攻を受け政府は、今年の骨太方針に防衛力の「5年以内の抜本強化」を明記。国家安全保障戦略など安保3文書を年末に改定する中で増強の姿を示す考えで、岸田首相は「内容、予算、財源を一体で議論する」と繰り返してきた。
ところが前言を翻して首相が優先したのは「規模」だった。先月末以降、27年度の防衛費をGDP比2%に増額し、23年度からの5年間で総額43兆円とするよう関係閣僚に指示したからだ。現行の5年計画から1・5倍超の巨額になる。
防衛力強化の方向性を議論した政府の有識者会議は11月、ミサイル発射拠点をたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを提言した。だが具体的な中身はいまだ国民に示されておらず、首相の指示は「規模ありき」のそしりを免れまい。支持率低迷に苦しむ首相が、求心力維持へ党内保守派にすり寄ったと見られても仕方なかろう。
5年間で43兆円規模の防衛費の財源として政府は歳出の見直し、決算の剰余金、国有財産の売却益や税外収入を充てる案を与党に示した。財源の資金を確保しておく枠組み「防衛力強化資金」を一般会計に新設することも明らかにした。
それでも財源が不足するとして岸田首相は増税を表明し、法人税を軸に検討する見通しだが、所得税の活用策も浮上している。低賃金と物価高騰に苦しむ国民の現状を考えれば、負担増には慎重であるべきだろう。
一方、3文書改定に伴い、従来含まれなかった公共インフラなど国債発行の対象になり得る予算が広義の防衛費に加わることで、かえって国債による借金増が深刻化しかねない点を警戒したい。日本の国債残高は1千兆円を超え財政状態は主要国で最悪だ。「有事」とは軍事的な衝突だけでなく、財政の信用低下による通貨や金融の混乱にも当てはまることを為政者は今こそ思い起こすべきだろう。
岸田首相には25年度に基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化する財政健全化目標の堅持を求める。歴史的な安保政策の転換と負担増が説明を欠いたまま既成事実化しようとしている。その国民軽視の姿勢を容認するのか、われわれも問われる。
岸田文雄首相は、防衛費を国内総生産(GDP)比で2%へ増額する財源として、2027年度以降に年1兆円強の増税を実施すると表明した。適切な増強か内容の議論が生煮えなまま、「聖域化」で予算規模を急拡大するためだ。財政悪化が一層進みかねず、国を危うくする予算膨張と言わざるを得ない。
中国や北朝鮮の軍事的脅威に加え、ロシアによるウクライナ侵攻を受け政府は、今年の骨太方針に防衛力の「5年以内の抜本強化」を明記。国家安全保障戦略など安保3文書を年末に改定する中で増強の姿を示す考えで、岸田首相は「内容、予算、財源を一体で議論する」と繰り返してきた。
ところが前言を翻して首相が優先したのは「規模」だった。先月末以降、27年度の防衛費をGDP比2%に増額し、23年度からの5年間で総額43兆円とするよう関係閣僚に指示したからだ。現行の5年計画から1・5倍超の巨額になる。
防衛力強化の方向性を議論した政府の有識者会議は11月、ミサイル発射拠点をたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有などを提言した。だが具体的な中身はいまだ国民に示されておらず、首相の指示は「規模ありき」のそしりを免れまい。支持率低迷に苦しむ首相が、求心力維持へ党内保守派にすり寄ったと見られても仕方なかろう。
5年間で43兆円規模の防衛費の財源として政府は歳出の見直し、決算の剰余金、国有財産の売却益や税外収入を充てる案を与党に示した。財源の資金を確保しておく枠組み「防衛力強化資金」を一般会計に新設することも明らかにした。
それでも財源が不足するとして岸田首相は増税を表明し、法人税を軸に検討する見通しだが、所得税の活用策も浮上している。低賃金と物価高騰に苦しむ国民の現状を考えれば、負担増には慎重であるべきだろう。
一方、3文書改定に伴い、従来含まれなかった公共インフラなど国債発行の対象になり得る予算が広義の防衛費に加わることで、かえって国債による借金増が深刻化しかねない点を警戒したい。日本の国債残高は1千兆円を超え財政状態は主要国で最悪だ。「有事」とは軍事的な衝突だけでなく、財政の信用低下による通貨や金融の混乱にも当てはまることを為政者は今こそ思い起こすべきだろう。
岸田首相には25年度に基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化する財政健全化目標の堅持を求める。歴史的な安保政策の転換と負担増が説明を欠いたまま既成事実化しようとしている。その国民軽視の姿勢を容認するのか、われわれも問われる。