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沖縄復帰50年

2022年5月14日
◆「平和の島」への願い実現を◆

 沖縄が1972年に日本に復帰して15日で50年となる。太平洋戦争末期の45年、激しい地上戦の末に沖縄は米軍に占領された。さらに日本が主権を回復した52年のサンフランシスコ平和条約で日本から切り離され、米軍による統治は27年間に及んだ。日本への復帰運動で沖縄の人々が願ったのは、平和主義を掲げる日本国憲法の下で、基本的人権が保障される「基地のない平和の島」だった。

 だが、半世紀を経た現実を見ると、沖縄の在日米軍専用施設の面積は、復帰時には全国の58・8%だったが70・3%に増えた。その上、日米が返還合意した米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先として名護市辺野古で大規模な基地建設の工事が強行されている。中国の軍備拡張をにらんだ防衛態勢の強化で自衛隊の南西諸島配備も進む。有事の際、再び沖縄が戦場となるのではとの懸念が強まる。

 沖縄の知事選では2014年に辺野古移設反対を掲げた翁長雄志氏が当選。玉城デニー現知事もその主張を引き継ぐ。19年2月に実施された県民投票では、辺野古沿岸部の埋め立てに「反対」が72・2%。県民は移設反対の意思を明確に示した。

 だが、政府はその声を顧みず、工事を続けている。沖縄の声が踏みにじられ続ける現状は、県民に主権が返還されたと言えるだろうか。今求められるのは、復帰に込められた沖縄の思いを再確認し、その実現に真摯(しんし)に取り組むことだ。

 復帰前の1971年、琉球政府の屋良朝苗行政主席は復帰に向けた「建議書」をまとめた。米軍基地の撤去や、地方自治の確立、反戦平和、基本的人権の確立、県民本位の経済開発―などを求めている。だが基地は残された。「私どもの切なる願望が入れられたとは言えない」。屋良氏が72年の記念式典で指摘せざるを得ない復帰だった。

 課題は今も続く。玉城知事は沖縄の将来像を描く新たな建議書を政府に提出した。辺野古新基地の建設断念や日米地位協定の改定、憲法が保障する民主主義や地方自治の理念の追求、平和的な外交・対話による緊張緩和、自立型経済の構築―。50年前と変わらない項目が並ぶ。

 共同通信社が実施した県民対象の世論調査では「米軍基地の一部を他の都道府県で引き取るべきか」という質問に75%が賛成した。一方、全国調査では「賛成」が58%だったが、自分の住む地域への移設には「反対」が69%に上った。日本全体の問題である安全保障の負担を沖縄に押し付ける構図が鮮明に表れている。「平和の島」を実現しない限り、真の復帰とは言えない。問われているのは本土の側の意識だ。

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