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同じ被災地として

2024年1月18日
 火がともされた竹灯籠の前でむせび泣く男性。慰霊碑に刻まれた母親の名前を花でなでる女性。発生から29年となった今年の阪神大震災の追悼会場で撮られた写真の数々。毎年のことながら見ていてつらい。

 その中でも特に目頭が熱くなったのは「がんばろう石川」と書かれた灯籠を並べる高校生の写真だ。彼らが生まれたのは地震から十数年後。しかし、子どもの頃からいろんな形で震災のことを聞いてきたであろう彼らは、どんな思いでこの灯籠を並べたのだろう。

 兵庫県内から来たという別の高校生は「震災を知らないし、来るかも迷った。でも、兵庫県民として一度は来たかった」と話す。その上で「なんだか分からないけど胸にきますね」と涙ぐんだ。その「なんだか」が分からずとも、何かを感じることができれば十分だろう。

 他の大震災でもそうだが「被災の外側」にいる人間にでも現地の惨状、被災者の悲しみ、嘆きなどを見聞きして、その苦しみに最大限の想像力を働かせ心を寄り添わせることはできる。だが、その痛みを自分事として共有するという点においては、同じ体験をした人々にはかなわないのではないか。

 「昔の恩返し」と神戸、東北、熊本が今回の地震の被災地支援に向けて動いている。全国からの支援の中でも同じ被災地からのそれは、より大きな励みとなろう。過去の被災地だからこそできる「体験した者にしか分からないきめ細かな支援」もあるはずだ。

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