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最後の授業

2020年10月18日
 関西の地方紙にいた先輩記者から興味深い話を聞いたことがある。彼のお兄さんは、ドイツの製薬会社に勤務。兄弟とも議論好きとあり、お兄さんが帰省すると酒を飲みつつ2人で議論を交わすのだという。

 お兄さんは、議論で劣勢になると必ずタイムを要求。「ちょっとドイツ語で考える」と。しばし黙考した後で、議論を再開すると形勢は一気に逆転。「日本語で考えるか、ドイツ語で考えるかで、こうも発想が違うものかと驚かされる」と先輩記者は話していた。

 意識はせずとも、それぞれの言語が持つ文化的背景などは、その言葉を使う者の発想や思想に大きな影響を持っているということだろう。中国の内モンゴル自治区で、標準中国語による教育が強化され、モンゴル語を母語とするモンゴル族の住民らが反発しているという。

 モンゴルの前大統領が「文化的な民族大量虐殺だ」と言ったのもうなずける。このニュースにフランスの小説家ドーデの「最後の授業」を重ねた。フランス領アルザス地方に住む少年が、ある日学校に行くと、フランスが戦争で負けたため翌日から授業はドイツ語で行うと知らされるという物語だ。

 最後のフランス語での授業。先生は「ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限り牢獄(ろうごく)の鍵を握っているようなもの」と話す。その鍵すら奪われそうな内モンゴル自治区の人々だ。さすがに習近平国家主席に近い人々からも批判が出ているという。

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