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最期をどう迎えるか

2020年7月30日
 孔子と弟子の問答が集められている「論語」。孔子はどんな質問にも粘り強く丁寧に答えているが、珍しく「いらっ」とした感情が伝わってくる箇所がある。弟子の季路から「死」について質問されたときだ。

 遠回しに答えるが、しつこいので「まだ生についてもよく知らないのに、なぜ死のことが分かるか」とぴしゃり。死を観念的には語れない。まず目の前の現実を直視せよ、という戒めを込めているのだろう。確かに死の問題はうかつに触れられない深遠さがある。

 だが、超高齢社会が迫り、終末期医療への関心が高まる中「最期をどう迎えるか」は、話題にしたくなくてもだれもが直面する課題だ。筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者の依頼を受け安楽死させたとして2人の医師が逮捕された事件は、端的に難題を突きつけてくる。

 無論、容疑者は司法の場で裁きを受けるべきだ。自らの命でも生死を左右できると思うのはおごりだ、とも考える。でもすっきりしない。女性がブログにつづる悲観は切実すぎる。通り一遍の同情や励ましで変わったと断言する自信が持てない。ネットには、安楽死に共感する書き込みも散見する。

 ただ「自己決定」を一般的に認めれば、終末期医療の現場で”決定”を迫る圧力が増すのは明らかだ。そんな社会が優しく人をみとるとは思えない。生きがたさを和らげる社会的な支援や理解を向上する方が理想だ。よく生きるために、先哲に倣って悩みたい。

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