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県民はどこから来たか

2020年6月1日
 「今日から君たちは延岡市民だ」。SF映画なら革命の場面で、新たな指導者に宣告されたような衝撃だった。宮崎市下北方町・景清廟(かげきよびょう)がある公民館の敷地に「従是(これより)北 延岡領」と彫られた古い石の柱が立つ。

 もちろん変な妄想とは関係なく、江戸時代後期まで宮崎市の大半が延岡藩の領地だったことを示す藩境石。近くから移設した物だが貴重な文化財だ。ただ本県に小藩や幕府領が分立していたのを知る人も宮崎平野に”延岡”があったと知る人は少ないのではないか。

 手前みそになるが、中世から近世にかけて日向国内の領地が複雑に入り乱れるようになった経緯は、本紙文化面に連載中の「みやざき令和風土記」に分かりやすく解説されている。本紙生活文化部記者が、数少ない資料を読み込んで足りない部分を古老や研究者に聞いた。

 10~12月に本県で初開催される国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭を前に「宮崎県民はどこから来て、どのように形成されたのか」を旧石器時代から時代順にたどっている。おかげさまで読者からも「古里の歴史に興味を持った」「過去の掲載日を知りたい」など好意的な反響が寄せられている。

 調べる中で多面的な歴史の見方が可能になってきた。例えば中世。武士の世という一面でとらえがちだが、仏教宗派の浸透などを通して庶民の生き生きとした生活も見えてきた。両文化祭開催には不確定の要素もあるが、本県の成り立ちを学ぶ機会にしたい。

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