署員約300人と、県内最大の警察署トップに就いた。管内には昼夜問わず事件が発生する歓楽街を抱える。「宮崎の顔の安心安全のため、悪に目を光らせ、環境浄化に努める」。県都の治安維持に力を注ぐ考えだ。
訓示では「警察官として熱い気持ちと、それに伴う確かな技術を身に付けよう」と、基本の大切さを説いた。
信条は「まっすぐ」。ある署の生活安全課長時代、管内の中学校が生徒の対教師暴力で荒れた。半年間学校に通い、問題を抱える生徒たちと真っ正面からぶつかった。その1人が更生して社会人となり結婚。報告を受けたときは「報われた」と感激した。
1979(昭和54)年に採用され、刑事、生活安全、交通など幅広い部門を経験した。前職は交通部長で、交通事故防止への思いも強い。忘れられない事故がある。ある年のクリスマス、高齢女性の車が橋の欄干にぶつかり亡くなった。現場に行くと、車の中から演歌が漏れ聞こえた。後部座席にはラッピングされたプレゼントがぽつり。
「好きな歌を聴きながら、大切な人にプレゼントを渡しに行く途中だったのかもしれない」。ある日、突然命が奪われる悲惨さを肌で感じたからこそ「一件でも事故を減らしたい」と力を込める。
昼食は署内の食堂で取るようにしており、若手署員をつかまえては積極的にコミュニケーションを図る。座右の銘は「大胆にして細心なれ」。元高校球児で大柄だが、「こう見えて臆病者なんです」と笑う。宮崎市内の官舎に単身赴任。59歳。