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東日本大震災2年 望郷

(1)新たな生活

2013年3月7日
■徐々に笑顔取り戻す

 東日本大震災から2年が経過した現在、東北などから200世帯以上が生活の拠点を本県に移している。地域の支援や人の優しさに触れ、定住を決める人もいる一方、故郷に残してきた人や風景への思いは尽きることがない。移住者らは複雑な思いを抱えながら春を迎える。

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 「福島に、戻れるものなら戻りたい」…。吉田真奈美さん(32)は、知人の紹介で綾町に家族4人で暮らし始めて1年になる。夫の健大さん(36)は美容室を開業する準備を進め、生活は「平穏」と呼べるものに徐々に変化してきた。

 2011年3月11日を、当時の居住地だった福島県郡山市で迎えた真奈美さんの生活は一変した。臨月の吉田さんが自宅出産の準備を進めていたとき、震度6の揺れに襲われる。電気やガスが止まったため同市の姉の自宅へ移動。助産師と連絡が取れず余震も続く混乱の中、12日午後に長女ひなたちゃん(1)を無事出産した。

 しかし、福島第1原発事故による放射能の影響を懸念し、夫と子供2人とともに滋賀県や京都府の生活を経て12年3月、綾町に一軒家を借り、本格的に移住した。

 思えば健大さんは09年、郡山市に美容室をオープンしたばかりだった。人生の歩みを着実に前進させていた矢先の震災であり、九州での生活など想像だにしていなかった。

 綾町は住宅支援などが手厚い上、他県からの移住者がなじみやすい雰囲気もあり、故郷から遠く離れた土地で暮らす緊張は少しずつほぐれていった。健大さんは、同町で再び美容室の開店を準備。来年には郡山市に住む真奈美さんの両親も移住する予定で、「ようやく被災者ではない生活が始まった気がする」と真奈美さんはほほ笑む。

 一方で、友人たちはほぼ福島に残っている。移住を勧めたこともあったが、家庭の事情で動けない場合がほとんど。この大切な人たちの元に、帰りたい気持ちは変わらない。だが、子供のことを考えると実行には移せない。今は「家族が笑って暮らせる生活」を一番に考える。

◆     ◆

 中村昭子さん(84)=仙台市太白区=は震災の約1カ月前、長年一緒に生活していた長女千里さんを病気で亡くした。次女の道子さんに呼ばれて生活していた東京都で被災。「いつ死んでもいいという気持ちだった」。重なる不幸に泣いて過ごす毎日だったという。

 「道子が『仙台市に一人で置いておけない。九州なら思いを断ち切れるのでは』と考えてくれた」。道子さんの知人がいる都城市へ避難し、半年後には宮崎市のマンションで単身での生活を始めた。

 暖かい気候と周囲の人々の優しさに、中村さんの傷は徐々に癒やされていく。笑顔も増えた。本県に仕事を持つ道子さんら家族も頻繁に訪れてくれるという。「春になったら(仙台に)お墓参りに行きたい」。2年前の激烈な悲しみに少しずつ向き合えるようになっている。

【写真】震災、出産、移住と激動の2年を経験した吉田さん家族。綾町で生活する今、「前よりも充実した毎日を送れている」

(1)新たな生活2013年3月7日付
(2)合 流2013年3月8日付
(3)「うみがめのたまご」2013年3月9日付
(4)被災地の絆2013年3月10日付
(5)子どもたち2013年3月11日付

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