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想定 巨大津波~ミヤザキ被災地からの警告

(1)求められる現場判断

2012年6月24日
■学校 避難マニュアル分析を

 6月11日、宮城県石巻市の大川小。東日本大震災から1年3カ月たった今も献花台はアジサイで彩られ、児童・職員計84人を悼む弔問客は絶えない。今月上旬、被災地を訪ねた。沿岸部に市街地や漁村が広がる光景は、本県の姿と重なる。震災当時の対応と現在の状況を通して、本県の巨大津波対策を考える。(報道部・堀口佳菜子)

 あの日、北上川をさかのぼった津波が避難の列をのみこんだ。学校裏に高さ20メートルの山があるにもかかわらず、避難先を探して校庭に40分も滞在。近くの堤防を目指した直後、襲われた。助かったのはとっさに裏山に上ったり、保護者に引き渡した後だったりした児童だけだった。

 同校のマニュアルでは、避難場所は「高台」。具体的な場所までは明示していなかった。市教育委員会は「海まで約4キロあり、ハザードマップで津波は来ないと想定されていた」と説明する。しかし、実際は河口から5キロ先まで浸水被害は及んだ。後日、市教委は「災害対策の甘さ」を謝罪。マニュアルの不備が生んだ悲劇だった。

    ■   ■

 一方、マニュアルに沿った行動が悲劇を生んだ例もある。東松島市の大曲小では校舎に残った児童約300人が助かり、保護者に引き渡した11人全員が死亡した。市教委は震災後、「津波注意報・警報が出ている間は引き渡しに応じない」とマニュアルの方針を変更した。

 学校外にいた5人を除く児童生徒2921人が無事に避難して「釜石の奇跡」と防災教育が評価される岩手県釜石市。市教委総務学事課の菊池拓也指導監は震災当日、電話が使えなくなったことを「本当に良かった」と振り返る。「もし電話が使えたら各学校に屋上への避難を呼びかけようとしたが、実際は津波が屋上を越えた学校もあり、犠牲者が増えてしまったかもしれない」。より遠く高台へと逃げた各学校や児童生徒の独自の判断が生きた形となった。

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 幼稚園から高校までの児童生徒の死亡・行方不明者は岩手、宮城、福島県で607人に達した。南海トラフの巨大地震で最大約15メートルの津波高が想定される本県では、子どもを守れるか。

 350年前の外所(とんどころ)地震の際に津波で浸水したと伝わる宮崎市の木花地区。木花小は教師の誘導なしの抜き打ち訓練を重ね、今では児童約220人が高さ約30メートルの裏山まで6分で避難を完了する。

 巣山和洋教頭は「最初は『子どもを大人が守らんでいいのか』とものすごく抵抗があったが、大人が不在や犠牲になった時どうなるか。繰り返し訓練して体に覚えさせるしかない」と力を込める。

 沿岸10市町は、引き渡しは各校の判断に委ねるケースが多い。であればマニュアル至上主義に陥らぬよう、現場の判断力を高める努力が求められる。それを補完するものとして、宮崎市は各校に防災主任を選任。県立学校でも各校に1人以上、防災士の資格を取得させようとしている。

 釜石市教育委員会の河野俊治指導主事=大分県出身=は故郷がある九州を憂慮する。

 「地震と津波に備え続けた東北がこれほどの被害。九州東部は被害を伴う地震の経験がほぼないが、大丈夫か」

【写真】児童と職員84人が死亡・行方不明となった大川小。2階建ての校舎から杉山まで100メートルもない。月命日の6月11日もわが子を失った保護者が手を合わせていた=11日午後6時、宮城県石巻市・大川小

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