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あの瞬間、歴史が生まれた

みやざき 乾しいたけ物語

2018年7月9日

山の恵み凝縮した乾(ほし)しいたけ



原木の「うまみ」を吸収して成長するしいたけ

原木の「うまみ」を吸収して成長するしいたけ

 乾しいたけは、中山間地で生きる人の知恵が生んだ作物だ。原木からできるしいたけを乾燥させ、「うまみ」を一気に閉じ込める。豊かな森林に恵まれた本県では古くから栽培が盛んで、大分県に次ぐ生産量を誇る。近年は、栄養価や安全性の高さが注目され、海外での人気も高まりつつある。本県の生産者やJAは「日本一の産地」を目標に、数百年の歴史をつないでいる。

古来より続く栽培 「種駒」で劇的拡大

 本県のしいたけ栽培の歴史は、江戸時代初期まで遡る。諸塚村で栽培されたしいたけを藩主に上納したとの記述が残っており、約400年前から栽培が盛んだったことがうかがえる。しかし、生産は自然頼み。当時は、クヌギなどの原木に鉈で傷を入れ、自然にしいたけ菌がつくのを待つ原始的な方法だった。

 生産方法が劇的に変わったのが、菌を直接原木に打ち込む「種駒」方式が確立された昭和初期。本県では1941(昭和16)年に諸塚村の生産者が取り入れたのが始まりで、JA宮崎経済連は49年、種駒の取り扱いをスタートさせ、人工栽培が県内全域に拡大した。

贈答用に需要増加 生産者も力を結集

 乾しいたけは、栄養価と保存性の高さから贈答用に人気を集め、販売は右肩上がりに。追い風を生かそうと、経済連は60年、日向市に倉庫を新設し出荷体制を整えた。82年には、日向市塩見の椎茸流通センターの大幅改修に着手し、低温倉庫3棟を備える大規模施設が完成した。

 乾しいたけ栽培は、当時から小規模生産者がほとんどだったが、力を結集して課題に立ち向かった。各JAは協力して共販体制を確立。本県独自の規格選別基準を定めるなど品質向上を続け、消費者や市場の信頼を高めてきた。

JA宮崎経済連の野﨑修審査役

JA宮崎経済連の野崎修審査役

 90年代には、安価な輸入品の攻勢や、食の信頼を揺るがす偽装表示問題も発生したが、徹底した品質管理で対抗。いち早くトレーサビリティー(生産履歴)を取り入れ、高い安全性をPRしてきた。JA宮崎経済連米穀特産課の野﨑修審査役は「乾しいたけは『自然にできる』から『手を掛けてつくる』に変わってきた」と本県の長い歴史を振り返る。

海外人気高まり再注目 中山間地活性化の鍵

 乾しいたけの栽培には、木の伐採や傾斜地の作業など重労働が含まれ、中山間地で急速に進む生産者の高齢化は大きな課題だ。野﨑審査役は「山を守るためにも、生産基盤を強くしていかなければ」と意欲を燃やす。経済連は7年前から平地栽培に力を入れ、各JAも原木の提供などで生産者の支援を拡充させている。

県乾しいたけ品評会で表彰される生産者

県乾しいたけ品評会で表彰される生産者

 近年は、世界的に健康志向が高まり、世界遺産にも登録された和食の「だし文化」に熱い視線が注がれている。追い風を受け乾しいたけの価格も安定し、中山間地活性化の切り札として期待を集めている。


椎葉村椎茸部会の中瀬裕顧問

椎葉村椎茸部会の中瀬裕顧問

 6月21日には宮崎市で第63回宮崎県乾しいたけ品評会が開かれ、生産者ら約300人が集結。会場には芸術品のような乾しいたけがずらりと並んだ。椎葉村椎茸部会顧問の中瀬裕さん(60)は誓う。「良いものだから、歴史が続いている。これからも、学んだ技術を引き継いでいきたい」。

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