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被災地の思い 熊本地震半年

(1)学校 避難所運営に奔走

2016年10月21日
「受け入れ訓練必要」

 熊本県益城町の西に位置する広安西小(井手文雄校長、765人)。4月14日の「前震」以降、校内は多くの避難住民であふれかえった。大規模な災害だったため行政のバックアップは十分ではなく、教職員らは体育館や教室を開放した避難所の運営に奔走した。田中壮介教頭(57)は「何から手をつければいいか分からなかった」と慌ただしかった当時を振り返る。

 前震が発生した夜、校内には10人ほどの教職員がいた。4年3組の担任・菅田好洋(よしひろ)さん(51)もその一人。大きな揺れが収まると、次第に住民たちが車や徒歩で集まり、まずは交通整理や体育館の開放に取り掛かった。朝方まで同僚と共に寝ずに対応。届けられた支援物資の配給も行ったが「数は限られていて、誰にどのように渡せばいいのかも分からず、手探りだった」。

 教職員は当初、避難所運営だけでなく、児童の安否確認にも追われた。電話やメールで連絡を取り続け、全員の無事を確認するまでには3日かかった。昼夜問わずフル稼働し、休む暇なんてなかった。肉体的、精神的な疲労は積み重なり、突然泣きだす人もいたという。

 「教職員も同じ被災者。家族もいる。ただ、学校の大変さを知っているだけに、なかなか帰りづらい雰囲気もあった」と田中教頭。心身のケアを図るため、3日後には業務を3交代制にシフトした。

 運営体制を整えると同時に、同校は「大臣制」という独自のアイデアで、避難者の生活の質を高めようとした。トイレ掃除などを行う「衛生大臣」、洗い物を担当する「洗濯大臣」、情報を伝える「広報大臣」など、担当職員の名前と共に紙に書き込んだ。それぞれの役割を明確にし、しっかりと分担させることで運営もスムーズになった。

 田中教頭は「運営を担う以上、小さな声にも耳を傾けた。限界はあるが、ニーズを最大限に聞き入れて避難者の安全を守り、不便さも解消できた」と胸を張る。同校の避難所が閉鎖するまで約4カ月かかったが、職員たちの努力によって感染症や食中毒は出なかったという。

 学校の多くは災害時の避難所に指定されている。田中教頭は「防災訓練はあっても、基本的には児童の避難が主眼。今思えば、受け入れを想定した教職員の訓練も必要だった」と反省点も口にする。そして今回の地震で痛感したのは、学校が地域コミュニティーの中心だということ。「学校を頼りに避難してくる人は多い。職員は避難所運営についても考え、マニュアル作りも検討すべきだ」と力を込めた。

×   ×

 熊本地震発生から半年がたった。大災害を経験した住民は当時どんな事に困り、今何を思うのか。さまざまな立場の人に振り返ってもらい、本県への教訓として伝える。

【写真】学校は地震発生直後から避難所に。田中壮介教頭は当時の写真を示しながら「手探りでやってきた」と振り返った=11日午後、熊本県益城町・広安西小学校

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