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伝える記憶 戦後71年みやざき

(1)遺品

2016年8月26日
貴重な「歴史」後世へ

 「ガガガガガッ」。船の甲板を銃弾が打ち付ける音が、朝の静けさを破った。空襲を知らせるサイレンが鳴り響き、被弾したドラム缶が爆発。あちこちで火の手が上がる。救命胴衣を身に着け、無我夢中で海に飛び込んだ。

 陸軍航空隊上等兵として戦地シンガポールへ向かう途中で空襲に遭い、九死に一生を得た持原忠七(ちゅうしち)さん(90)=宮崎市青島4丁目。戦争の悲惨さを後世に伝えようと今年6月、自身の体験を初めて1冊のノートにしたためた。

 乗っていた輸送船が空襲を受けたのは1944(昭和19)年1月9日、台湾沖でのことだった。「日時や状況を正確に記憶しているほど、恐怖が脳裏に焼き付いている。記憶がはっきりしているうちに書き残しておきたかった」

 書き進めるたびに同じ輸送船に乗り散っていった多くの仲間が頭に浮かび、何度も手が止まった。「悲惨な殺し合いを二度と起こしてはならないと末代まで伝えていかなければならない」と力を込める。

◇   ◇

 戦争体験者は年々高齢化。「当時のことを忘れないでほしい」との思いを込め、県内施設には遺品の寄贈が相次ぐ。一方、展示スペースや種類の重複などの理由で、人目に付かないまま収蔵庫に保管されるものも多く、活用方法が大きな課題となっている。

 県護国神社(宮崎市)の遺品館は、軍服や軍隊手帳など約400点を収蔵。「忘れて同じことを繰り返さないように伝えていくことがわれわれの務め」と山田勇徳(いさのり)禰宜(ねぎ)。一方で遺品について、「思い入れのある物なので丁寧に扱いたいが、重複も多く展示しきれない」と明かす。

 同市末広1丁目の県遺族会館平和祈念資料展示室。遺族が提供した約2千点のうち赤紙のレプリカ、手紙など約300点が並ぶが、来場者は1日平均5、6人にとどまる。

 より多くの人に見てもらおうと、学校などを対象に防空頭巾や「千人針」、写真パネルなど約30点をまとめた貸し出しセットも用意。しかし「社会状況や生活が異なる中で、見るだけでは伝わらないのでは」との懸念もある。

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 遺品など戦争当時の資料を今後、どう活用していくべきか。県文書センター主席運営嘱託員の永井哲雄さん(81)は「戦争経験者が減り、歴史を読み解くことができる人が少なくなる。当時の戦況や生活など背景をできるだけ細かく記録し、資料を生かす努力が求められる」と訴える。

 一方で「受け取る側もそれを生かすために、歴史を勉強する姿勢が必要」とも。戦争体験について「次世代に伝える最後のチャンス。宮崎の歴史を証言するものとして、どう残していくかという大きな視点で捉える必要がある」と話した。

×   ×

 7月の参院選で衆参両院とも改憲勢力が3分の2以上の議席を占め、憲法改正が現実味を帯びる中で、間もなく終戦71年を迎える。戦時中の記憶を次の世代にどう伝えていくか。県内の現状を追った。

【写真】戦争体験を手記にまとめた持原忠七さん。アルバムを手に自身の経験を語る=7月28日、宮崎市青島4丁目

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