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山激動 県産材復権へ

(1)森熟し目覚めの時

2016年1月15日
成長産業へ好機到来

 70年前の戦後復興元年は山の荒廃から始まる。軍用資材を求めた乱伐で災害が頻発し、植える山の再生が復興のシンボルだった。そして今、森林資源が熟し、山を守ってきた時代がようやく花開こうとしている。日本一の丸太生産量だけにとどまらず、大型製材工場、バイオマス発電施設、丸太輸出といったあらゆる木材を受け入れる出口が用意されるようになった。林野庁幹部は明かす。「宮崎県は日本の先頭を走っている。林業の成長産業化を大きく左右する潜在力がある」。林業を切り口に山の息吹を取り戻せないか、激動する山をどう次へつなぐか、林業の今を追った。

 山あいの小さな学校に大学生8人が集まった。「じいちゃんが捕ってきたシシ汁、ばあちゃんの煮しめ、漬物をどうぞ。おいしいですよ」。昼食のメニューを小学6年の「はるちゃん」が紹介する。スギの伐採現場にも学生を案内した。2015年末にあった「林業アピールツアー」は諸塚村・荒谷小(13人)の松村春菜さん(11)が企画した。

 林業をテーマ学習に取り入れている同校で担い手不足を知った。「山や林業がなくなってしまうのが怖かった。だったら若い人に山師の仕事を知ってもらえれば」。家族や村観光協会から助言を聞きながらツアープランを練った。

 祖父晃三さん(71)から教えられた山の営みが根底にある。食糧難の時代に苦労して道を通し、苗を植え、育ててきたこと。子や孫の代はより幸せな生活であってほしいという願いも込められた森。「山が大好きよ」と語る祖父の顔がいつも浮かんだ。

 ツアーの学生は森林研究で村とつながりがある宮崎大、九州大から参加。同校のPTA会長だった地元の丸太生産業者が協力し、伐採現場で倒すごう音に拍手が上がった。「かっこいい。感動した」との声も。伐採作業から引退していた晃三さんはその場で「孫がいるから記念に見せたい」と久しぶりにチェーンソーを鳴らした。誇らしげな顔に春菜さんもうれしそうだ。

 「15の春」になると子供たちは高校入学のため村を出る。晃三さんは「中学卒業記念で子供にスギの苗を植えさせてきた。『山を忘れないで』『ふるさとに帰ってきてほしい』という気持ちから。次ははるちゃんの番」と語る。

 親から子、孫へ命の連なりとともに森を慈しむ心は受け継がれていく。春菜さんの夢は村で保育士になること。「山を守り育てる人がいて諸塚が輝き続けることが未来の子供たちにとって大切だから」。村全体の願いでもある。

◇     ◇

 村人口(約1700人)はこの10年で2割近く減った。憂いはある。それでも結束力が緩まないのは、村土の大半を占める森林を受け継いでいく林業立村の覚悟があるからだ。明日を山に求める村民の心の鼓動が響き始めた。

 05年の台風14号で被災した村中心部に全国でも珍しい完全木造の商店街が誕生する。かさ上げ工事で4年間の移転、仮設営業を強いられたが、計11店が15年度までに再オープン。特産品販売店など村産材で建設中の主要4施設と合わせ木の街づくりを始める。

 4年後の東京五輪も村にとっては好機。競技場や選手村など関連施設の木造化が検討されており、過去の五輪の使用例を踏襲すれば、村ぐるみで取得した国際森林認証材を含めて採用される可能性が出てきた。全国の認証率は7%ほどで国が五輪を念頭に普及に力を入れる。その国の事業委員会に村企画課の矢房孝広課長が出席している。

 矢房課長は「先人が築いてきた山づくりの果実を生かす時。五輪はチャンスだが、その後を見据えて種をまいていく」と都市部の需要開拓を狙った仕掛けに動いている。

【写真】「諸塚に貢献したい」との思いで大学生向けに林業アピールツアーを企画した松村春菜さん(左から3人目)=2015年12月、諸塚村

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