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生誕130年 牧水はるかなり

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【第1部・家庭人】(1) 二面性

2015年6月1日
妻子思う漂泊の文人

 日向市東郷町出身の歌人若山牧水の生誕から130年を迎えた。本県で1996年度に始まった牧水賞も20回目の節目となる。今や国民的歌人として広く浸透してきた牧水。家庭とは対極にある「旅と酒」を愛する一方、家族とのつながりを大切にした生き方は、他の「漂泊の文人」たちとは異質であり、その人間愛に満ちた歌風にも反映した。第1部では研究者や子孫の証言を交え家庭人としての側面を眺める。

人間愛 歌風に反映

 静岡県沼津市出口町の浄土宗千本山乗運寺。正門から入って程なく、右手に一画の墓地が見えてきた。この地で人生を終えた牧水の墓。右後ろには若山家の墓があり、妻喜志子と長男旅人らが眠る。墓の前には牧水と喜志子の歌碑が並んで立っている。

 「牧水は穏やかな人だったと聞いている」と話す第28代住職の林茂樹(76)は公益社団法人沼津牧水会理事長でもあり、沼津での牧水の消息に詳しい。林の祖父で第26代住職、彦明(げんみょう)は1926(大正15)年、同市の千本松原の一部を伐採する計画が持ち上がった折、牧水とともに反対運動を行ったことが縁で交流が続き、牧水の葬儀の導師も務めた。

 牧水が東京から沼津市上香貫(かみかぬき)の借家に転居したのが20(同9)年。1、2年の静養のつもりだったが、海や山など自然へのあこがれもあり、終焉(しゅうえん)までこの地で過ごすことになる。転居以降、歌集「くろ土」や「山桜の歌」など円熟した歌を残す一方、旅と飲酒を続け、家を空ける日々を送る。しかし林は「牧水は俳人山頭火のように放浪の歌人という言い方をされることがあるが、放浪はしていない。計画を立て、旅先から家族に頻繁に手紙を出している」と話す。

 同市の香貫山や千本松原の風景は牧水が子供たちと遊んだ頃の面影を今も色濃く残している。


 歌人伊藤一彦(71)=若山牧水記念文学館(日向市東郷町)館長=は、牧水の妻や子を愛する心と、一方で旅にあこがれる心の二面性を言う。「人はみんな二面性があると思うが、一面は押さえて生きている。しかし牧水は両極を行ったり来たりした」

 ・妻や子をかなしむ心われと身をかなしむこころ二つながら燃ゆ

 この歌はその二面性を象徴している。
(敬称略)

【写真】千本山乗運寺に立つ牧水の墓。住職の林は祖父の時代からの牧水との縁を大切にしている=静岡県沼津市

 若山牧水
 1885(明治18)年8月24日、旧東郷村(現日向市東郷町)坪谷生まれ。本名は繁。坪谷尋常小から延岡高等小、旧制延岡中へと進み文学的才能を伸ばす。早稲田大学文学部英文学科卒業。第1歌集は「海の声」。没後に出版された「黒松」を含むと15冊に及ぶ。恋愛や経済的困窮、結婚、父の死など、内面を反映した歌を詠み続けた。1928(昭和3)年9月17日、静岡県沼津市の自宅で死去。43歳。


【第1部・家庭人】(1)二面性2015年5月10日付
【第1部・家庭人】(2)心の対話2015年5月11日付
【第1部・家庭人】(3)回帰願望2015年5月12日付
【第1部・家庭人】(4)伝わる思い(上)2015年5月13日付
【第1部・家庭人】(5)伝わる思い(下)2015年5月14日付
【第1部・家庭人】(6)妻の一途(いちず)2015年5月16日付
【第1部・家庭人】(7)原点2015年5月17日付

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