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ブラジル宮崎県人移住100周年

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結ばれる心 【1】神楽の後

2014年9月11日
■亡き夫の夢かない涙

 ブラジルで行われた宮崎県人移住100周年、県人会創立65周年の記念式典は、本県からの訪問団と移住者たちの交流をさらに深めるものとなった。移住者は故郷宮崎を心の支えとし、苦境を乗り越えながら懸命に生きている。ブラジルに生き、宮崎に思いを寄せてきた人たちを見詰めた。(報道部・井口健二)

 サンパウロ市で8月24日(現地時間)に記念式典、モジ・ダス・クルーゼス市で本県訪問団による「高千穂の夜神楽」披露(25日)があった翌日の26日。サンパウロ市から北東2千キロのマセイオ市の墓地で、女性が手を合わせて泣いていた。この地に眠るのは「(ブラジルの)みんなに神楽を見せたい」と願いながら、昨年9月に交通事故に遭い、73歳で亡くなった夫で前県人会長の谷広海さん=宮崎市出身。

 妻涼子さん(69)は「神楽が成功して夫も喜んでいる。皆さんのおかげ」と感謝しながらも「うれしいやら、悲しいやら、情けないやら。いてくれたらよかった」と、交錯する思いに胸を詰まらせた。やり遂げられなかった夫への無念が涙となってにじむ。

 広海さんは移住者の中でもとりわけ異色の存在だった。「だれも経験したことのない人生を歩もう」と大学卒業後、24歳で単身移住。リンゴ箱に段ボールを敷いたベッドで寝る極貧生活に耐え、日系人が一人もいなかったマセイオ市で野菜売りから始めた。

 それから同市の夜間高校、アラゴアス連邦大学法学部を卒業して弁護士に。アクセサリー店も経営したが、急激なインフレで見切りをつけ、低料金が売りのホテル業へ参入して成功した。時代を見据えて反応する経営感覚に、涼子さんは「いつも100歩前を歩いている人だった。『思わなければ何も起こらない』が口癖だった」と振り返る。

◇     ◇
    
 ブラジル日本語センター理事長も務め、県人会では次世代を担う若者と交流し育成していた広海さん。神楽を宮崎と移住者の結束のシンボルと考えていた。親交が深かった宮崎ブラジル親善協会理事の徳永哲也さん(77)は「リーダーとして、若者とのつなぎ役として活躍が期待されていた人だった。県人会にとっても谷さんを失った穴はあまりにも大きい」と話す。

 最後の夢があった。「すみかのない貧困世帯に家を造って喜んでもらう。建築業でブラジル社会に貢献したい」との思いから、息子と娘の5人で会社経営を始めようとしていた。父なき今、兄たちと会社を支える長女で建築家の谷茜エレウザさん(30)は力を込めた。「落ち込んで苦しいけど前に進んで成長しないと。県人会や父、そして自分のためにも頑張る」

【写真】広海さんが眠る墓の前で式典の様子を報告し、涙を見せる涼子さん=マセイオ市

【1】神楽の後2014年9月11日付
【2】県人のルーツ2014年9月13日付
【3】国を超えた夢2014年9月14日付
【4】家族の物語2014年9月17日付
【5】若者たち2014年9月18日付

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