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ブラジル宮崎県人移住100周年

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受け継ぐ思い 【1】念願の渡航

2014年8月19日
■75年ぶり母と“再会”

 高鍋町蚊口浦の大原孝子さん(81)は4年前、ブラジルの地に降り立った。75年前に生き別れた母が眠る場所を訪れるために。母キミさんは1988(昭和63)年に他界。それまで文通だけが親子をつないでいた。「生きているうちに会えなかったが、訪れてよかった」。現地で出会った親類との交流も続いている。

 キミさんは孝子さんを連れ、福岡県出身の男性と結婚。35年にブラジルへ移住することになったが、当時は3カ月の船旅だった。まだ幼い孝子さんを過酷な環境にさらすことに母の実家が反対し、祖父母に預けられた。

 祖父母の話では、母は孝子さんをブラジルに呼び寄せたいと考えていたが、現地の貧困に加え、戦中戦後の混乱期の中ではどうにもならない。そんな中でも毎月のように母は手紙を送ってきた。「お互い苦しいでしょうが、いつか笑って暮らせる時が来るのを祈っています」。結婚する時は、母から祝儀が届いた。

 子育てや仕事に追われていた88年、母の死を伝える便りが届く。差出人は母からの手紙で名前だけは知っていた妹。「生きている母と会いたかった」という後悔と、ブラジルへの思いが募った。

 転機は宮崎ブラジル親善協会の徳永哲也理事やブラジル宮崎県人会との出会い。親族の消息を知るために力を尽くしてくれた。そして2010年に渡航。初めて3人の異父姉妹たちと出会う。現地の農場が干ばつに襲われ、貧乏に耐えながら手縫いの服で育ててくれたキミさんの話をした妹は、「お母さんに似ている」と言ってくれた。母の墓前で手を合わせ「お母さんみたいに、しゃんと生きます」と誓った。

 孝子さんは「妹たちとの交流ができたのは、県人会などみなさんのおかげ」と、縁を尊ぶ。ブラジルの土を大切に仏壇に供えている。

▽   ▽

 宮崎県人がブラジルに渡って100年、県人会創立65年を迎え、24日(日本時間)にサンパウロ市で記念式典、26日(同)にはモジ・ダス・クルーゼス市で高千穂の夜神楽が披露される。これまでの交流は関係者の心に深く刻まれ、新たな時代に受け継がれていく。ブラジルに特別な思いを寄せる人たちを紹介する。(報道部・井口健二)

【写真】移住した母親の墓参りでブラジルへ渡った大原孝子さん。「いい出会いがあった」と話す=高鍋町

【1】念願の渡航2014年8月15日付
【2】世代超えて2014年8月16日付
【3】卒寿の願い2014年8月17日付
【4】巡り合い2014年8月18日付
【5】神楽公演へ2014年8月19日付

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