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人生は二度ある

72歳の高校生 津乗紘一さん(三股町)

2014年1月12日
「学べる喜び」に笑顔

 安定した生活を求めがちな風潮の中で、夢を諦めずにあえて人生の進路を大きく転換する。そこにしかない幸せや感動があると信じ、二度目の人生に挑戦する人たちがいた。

◆     ◇

 「おはようございます」。宮崎市・宮崎東高通信制3年、津乗(つのり)紘一さん=三股町餅原=の学校生活は職員室のあいさつから始まる。今でこそ日常の光景になったが、入学当初は戸惑う先生もいた。55年越しに夢をかなえた72歳の高校生。学べる喜びが自然と笑顔ににじむ。父は今の自分をどう思うだろう。あの一言が転機だったかもしれない。「すまなかった」

 1956(昭和31)年の高校受験合格発表前日、担任に呼ばれた。「高校は無理だ」。担任は、直接言えない父に代わり告げた。理容師の父は兄を大学、姉は高校に送り出した。家業の経済事情は肌で感じていたが、ショックだった。

 何となく父と同じ理容師になるため県立職業訓練校に通ったが、自宅に帰らずに近くの映画館で時間をつぶすことが多かった。実家の窓越しに目に入る同級生の通学風景にうらやましさもこみ上げた。そんな姿を見ても父は何も言わなかった。

 あやふやな気持ちのまま、東京の理容店で5年間修業。結婚して都城市に戻り理容店を開いた。だが、隣の布団屋は見透かしたように言った。「若いもんが店で待つ仕事しちゃ駄目だ。攻めないと」。30歳で意を決し布団のセールスマンに転職した。父は反対せず「頑張れ」と言った。

◆     ◇

 地縁がない宮崎市でリヤカーに布団を積んで売り歩く日々。すれ違う車の中から届く、気の毒そうな視線に下を向くこともあった。それでも一軒一軒、顧客を開拓、引っ込み思案だった性格が劇的に変わった。子供が生まれ、実家に帰るたびに父は言った。「高校出せなくてすまなかった」。親としての悔しさを抱えていたのだろう。言われるたび、ずっと心に引っかかっていた高校への思いは膨らむばかりだった。

 セールスマンを辞め、70歳を迎えた頃、通信制学生を募集するテレビに「今しかない」と瞬間的に反応した。初登校日、急に恥ずかしくなり、目立たずに入ろうとも考えたが、なぜか職員室で大声であいさつした。リヤカーで布団を売り歩く感覚と似ていた。

 英会話の授業では意味が分からず、外国人講師をお茶に誘い特訓を受けた。本年度から立候補して生徒会長を務める津乗さんに、周りの生徒は「元気では誰も勝てない」「みんなを励ますリーダー」と評価する。

 「現役進学だったら勉強や高校生活の楽しさが分からなかったかもしれない」と語り、卒業後は通信制大学へ進学を考えている津乗さん。父の遺影が最近は笑っているように見える。

【写真】72歳で宮崎東高校の生徒会長を務める津乗紘一さん(中央)=宮崎市跡江の生目古墳群史跡公園

【1】72歳の高校生 津乗紘一さん(三股町)2014年1月1日付
【2】不屈のボクサー 竹元秀光さん(宮崎市)2014年1月3日付
【3】クリエーター 戸越正路さん(宮崎市)2014年1月4日付
【4】どぶろく造り 佐伯勝彦さん(高千穂)2014年1月5日付
【5】自然塾を設立 渡邊俊輔さん(小林)2014年1月6日付
【6】イチゴ農家 川原一仁さん(小林)2014年1月7日付
【7】日本語教師 山之口真美さん(小林出身)2014年1月8日付
【8】山村移住 小川弘志さん(椎葉)2014年1月9日付

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