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みやざき完熟きんかん編(上)

2019年1月31日

災い転じて福 木なり完熟で極甘に



みやざきブランドの先駆けとなった完熟きんかん「たまたま」。大きさや色味、糖度などさらに厳しい条件をクリアすると最上級品「たまたまエクセレント」として販売される

みやざきブランドの先駆けとなった完熟きんかん「たまたま」。大きさや色味、糖度などさらに厳しい条件をクリアすると最上級品「たまたまエクセレント」として販売される

 生産量日本一を誇る県産きんかん。生のまま皮ごと食べられる極甘の完熟きんかん「たまたま」の販売が1月に解禁された。3月末までに1196㌧の出荷を見込む。デビューから30年を迎えた「たまたま」は、不遇を克服した生産者らの努力と工夫の末、誕生した。

〝遅出し〟へ方向転換 ターニングポイントに 

 1981(昭和56)年2月26日夜、温暖な宮崎を大寒波が襲った。寒波と強風は県内のみかん産地に甚大な被害をもたらした。霜で果実は壊滅、木も回復に数年かかる半枯死状態となった。

 「ビニールをかけて木を守ろう」。翌年、串間市農協(現・JAはまゆう)の3戸の農家が温州みかんやポンカン、ネーブルなどの苗木をハウスで育て始めた。
きんかんもその中の一つだった。

 露地ものより1週間ほど早く出荷できたが、珍しさも味も優位に立てなかった。試行錯誤すること3年。当時、串間市農協の指導員だった古屋修市さん(62)は、樹上にきんかんを着果させたまま〝遅出し〟してみることに。完熟した果実は想像を超える甘さで、大きさや色つやも格段に向上。市場の評判も上々で産地化へ一気に動き出した。

出荷直前に過熟 ほろ苦デビュー 
 
完熟きんかんの生みの親、古屋修市さん

完熟きんかんの生みの親、古屋修市さん

 評判を聞き、県内関係者の視察も相次いだ。「何としても産地化したい。失敗例も教えよう」。古屋さんと農家は栽培法のすべてを伝え、県内のJAで産地化が進んでいった。

 生産者の努力と産地化への思いが実を結び始めた矢先、再び試練が襲う。完熟させるため、宮崎、串間市の4農協で出荷を調整していた88(同63)年春。気温が急上昇し、過熟による「うるみ果」が発生した。価格は半値に。「自分の判断で農家に大被害を与えてしまった」と古屋さん。しかし、安く出回ったことでおいしさが消費者や量販店に知られ、販路拡大につながった。「災いが二度も福に転じた」と振り返る。

 同時にネーミングも検討された。「金の玉」「ゴールデンボール」…。試食した宮崎小児童からユーモラスな名前が寄せられた。名付け親は小学5年生。89年、「たまたま」は満を持してデビューした。

ブランド強化 収量、価格も安定

「たまたま」 の出荷解禁を祝う「きんかんヌーボー」。毎年100人以上を動員する人気ぶり

「たまたま」 の出荷解禁を祝う「きんかんヌーボー」。毎年100人以上を動員する人気ぶり

 開花から210日以上、樹上で完熟させるきんかんは県内でいち早く栽培法が統一された。全国に流通する70%以上が本県産で、計画出荷されるため価格も安定的に推移。チームワークの良さを生かし、認知度向上への新たな取り組みも動き始めた。

 2009年、大きさと糖度によって「まるかじりきんかん」「たまたま」と2種類あった呼び名は「たまたま」「たまたまエクセレント」に統一され、14年にはみやざきブランド推進本部(県・JA宮崎経済連)によるプロモーションがスタート。消費者と出荷解禁を祝うイベント「きんかんヌーボー」や大都市圏の量販店、飲食店などでのフェアに生産者も参加し、PRを重ねてきた。

 そしてデビューから30年の今年、健康づくりに着目した新しい価値を付加した取り組みが始動した。

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