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中村哲医師死亡

2019年12月5日
◆平和への貢献胸に刻みたい◆

 アフガニスタンで医療や農業の支援活動を続けてきた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師が銃撃され、死亡した。市民による丸腰の支援こそが平和に貢献するという信念を貫き、危険と隣り合わせのアフガン支援に大きな足跡を残した。理不尽な事件に憤りと悔しさを禁じ得ない。

 中村さんは1984年にパキスタン北西部ペシャワルで医療活動を始め、内戦下のアフガンから国境を越えて来る難民を治療し、91年にアフガンのナンガルハル州に診療所を開いた。2000年の干ばつで感染症が広がると、井戸掘りや用水路建設も始めた。アフガン政府から18年に勲章を授与され、今年10月には名誉市民権を与えられた。アジアのノーベル賞である「マグサイサイ賞」も受賞した。

 アフガンでは01年9月11日の米中枢同時テロ後に、米軍などの攻撃でタリバン政権が崩壊した。06年、宮崎市で講演した際には「旧タリバンは独裁国家ではなく、地域の自治を尊重する統治方式で治安を維持していた。しかし、米軍などの攻撃によって外国人が襲撃の的になり内乱が拡大。治安が逆に悪くなった」「『悪のタリバン、正義のアメリカ』と言う人がいるが、立場によって見方はさまざまだ」などと現地の様子を報告。その上で、「現地の人々が本当に喜ぶことを考えて支援することが大切だ」と訴えた。

 この思いを貫徹した活動は、医療にとどまらなかった。紛争の背景にある水不足や貧困をなくそうとした視野の広さと行動力は特筆に値する。干ばつ対策では「平和を取り戻すためには水が必要」と土木工学を独学し、機械を使わず人力による工法を試みた。貧困層の子供のためにマドラサ(イスラム神学校)の建設にも乗り出した。

 危険地帯で支援団体が身の安全をどう確保するかは難しい問題だ。活動を継続するか撤退するか。銃を持った警備を付けるか。判断が分かれることも多い。ペシャワール会では08年、用水路建設に携わっていた伊藤和也さんが武装勢力に銃撃され死亡した。それ以降、日本人の現地入りは制限してきたが、中村さんは現場に立ち続けた。

 中村さんは国会参考人などさまざまな場で、軍事的手段は市民の活動の危険をむしろ高めると説いた。「前は、日本は国連以上に信頼されていた。日本の旗をつけていれば、武装集団に襲われることはなかった。9・11以降は日の丸を揚げていると逆に危なくなった」。軍事行動でなく「信頼が安全保障」と訴え、安全保障や平和構築を語り続けた中村さんの思いを、今こそ胸に刻みたい。

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