ホーム 社説

首里城全焼

2019年11月2日
◆沖縄の痛み、計り知れない◆

 沖縄独自の国家、琉球王国の歴史を伝える那覇市の首里城で火災が発生し、「正殿」など主要な建物が全焼した。15世紀から19世紀まで約450年間沖縄を統治、日本や中国などアジア各国との海洋貿易で栄え、多様性にあふれる文化を築き上げた琉球王国の王城だった。

 太平洋戦争末期の沖縄戦で1945年に全て焼失したが、1992年以降、主要な建物が復元された。沖縄の歴史的なシンボルであり、県民の心のよりどころとも言われる。象徴が焼け落ちる光景に、県民の心の痛みは計り知れない。だが、沖縄が築いてきた歴史と、それに根付く誇りまでが火災によって失われたわけではない。原因究明を急ぐとともに、防火対策に不備はなかったのか徹底的に検証する必要がある。その上で、シンボルの復元をもう一度、目指してもらいたい。再建に向けて国も支援を検討すべきだ。

 小高い丘の上にあり鮮やかな朱色の正殿などが「御庭(うなー)」と呼ばれる中庭を囲む形で建てられ、修学旅行生ら多くの旅行者が訪れる史跡だった。復元された建物自体は対象外だが、首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺跡群」は2000年に世界文化遺産に登録され、同年の九州・沖縄サミットでは首脳夕食会の会場となった。

 火災は10月31日未明に発生したとみられ、スプリンクラーは設置されていなかったという。貴重な文化財の火災は国内外でたびたび発生している。今年4月にはパリの世界遺産ノートルダム寺院で火災が起きた。失われるのは後世に伝えるべき貴重な歴史の遺産だ。再発防止の対策を徹底すべきだろう。

 首里城は、日本本土とは異なる歴史から成り立つ沖縄を象徴する存在だった。沖縄本島を割拠した北山、中山、南山を15世紀に統一した琉球王国は、首里に居城を置き、日常の執務も行った。首里城やその周辺では、各国の文化を取り入れた独自の芸能、音楽が演じられ、文化・芸術の中心地でもあった。

 だが、沖縄の苦難の歴史を体現する存在でもある。1609年に沖縄に侵攻した薩摩藩は首里城を攻略して支配。1879年に明治政府は軍隊を派遣して「沖縄県」を強制的に設置する「琉球処分」を行い、首里城を奪われた琉球王国に終止符が打たれた。さらに、沖縄戦での米軍の激しい攻撃である。大国の間で翻弄(ほんろう)されてきた歴史が首里城には刻まれてきたと言えるだろう。

 焼け落ちた建物は、もう一度建て直せる。歴史への誇りを胸に、県民の心をあらためて一つにして復元に取り組んでもらいたい。

このほかの記事

過去の記事(月別)