ホーム 社説

昭和天皇「肉声」

2019年8月22日
◆戦争巡る歴史解明の糸口だ◆

 初代宮内庁長官の故田島道治が昭和天皇とのやりとりや、その時の様子をつぶさに書き留めたノートや手帳が見つかった。昭和天皇がサンフランシスコ講和条約発効と独立回復を祝う1952年5月の式典で国民に向け、戦争への深い悔恨や反省を表明したいという意向を長官に伝え、「お言葉」の内容を検討させていた詳細な経緯が明らかになった。

 結局、当時の吉田茂首相に反対され、式典のお言葉から戦争を悔やむ一節は削除された。お言葉変更の事実は既に知られているが、吉田首相ばかりか宮内庁側からも反対されながら、反省にこだわり続けた昭和天皇の「肉声」が対話形式で克明に記されている点に特徴がある。

 「拝謁(はいえつ)記」と題された資料はノートなど計18冊から成る。収められた昭和天皇の発言は戦争責任や退位論、憲法改正、再軍備にも及んでいる。終戦後間もない時期の昭和天皇の考えや思いに触れることができる貴重な資料といえよう。

 戦争を巡る反省の在り方は日本社会が向き合っていかなければならない課題である。歴史のさらなる解明に取り組み、教訓とともに次の世代へと引き継いでいく必要がある。拝謁記はその糸口の一つとなるだろう。

 昭和天皇は「媾和となれば私が演説といふか放送といふか何かしなければならぬかと思ふがその事を考へてくれ」と話した。51年1月の日付がある。翌52年1月には「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と述べ、反省の2文字にこだわった。

 しかし吉田首相から戦争を悔やむ一節を削除してほしいという手紙が届き、52年4月、「どうもわるいとは思ハないが、総理が困るといへば不満だけれども仕方ない」と受け入れた。

 昭和天皇に関する記録としては例えば、宮内庁編さんの「昭和天皇実録」があるが、記録は要旨にとどまる。表情まで浮かぶような発言がこれほどまとまった形で出てくるのは珍しい。

 お言葉の検討を巡り「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬといふ事も書いて貰ひたい」と述べた。東西冷戦が激化する中、戦前の軍を否定しながらも「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい様ニ思ふ」と再軍備を語り、田島に「政治ニ天皇は関与されぬ御立場」といさめられた。

 その後、昭和天皇が公の場で戦争への反省に言及することはなかったが、上皇さまは戦後70年の2015年8月、全国戦没者追悼式のお言葉に「さきの大戦に対する深い反省」を初めて盛り込まれた。背景に、父である昭和天皇の強い思いがあったのかもしれない。

このほかの記事

過去の記事(月別)