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明治改元150年

2018年11月3日
◆敗戦に至る経緯も胸に刻め◆

 今年は、1868年の明治改元から150年に当たる。東京・永田町の憲政記念館で10月下旬に行われた記念式典で、安倍晋三首相は急速な少子高齢化や激変する国際社会の中にある日本の現状を「国難」と位置付け、「明治の人々に倣い、どんな困難にもひるむことなく未来を切り開いていく」と決意表明した。安倍首相は年初来、明治維新について日本を近代化させ欧米列強の帝国主義から日本の独立を守ったと称賛、当時の人々に学ぼうと呼び掛けてきた。

民主化に長い道のり

 確かに経済発展や軍事力強大化のスピードは目覚ましいものがあった。しかし一方で、政治体制の民主化には長い時間と多くの努力が必要だった。さらに政党政治の挫折が無謀な戦争を引き起こし、国家を存亡の機に立たせる敗戦と他国による占領を招いた。教訓を胸に刻まなければならない。

 元号が明治に改められたのは1868年10月23日だが、政治体制の大転換は前年11月、将軍・徳川慶喜が朝廷に政権を返上する大政奉還から始まる。68年1月以降、幕府の廃止と天皇中心の新政府の樹立を宣言する「王政復古の大号令」、戊辰(ぼしん)戦争の最大の戦闘である会津戦争での新政府軍の勝利などを経て、改元が行われた。

 その後は統治体制の整備が進み、71年8月、諸藩の抵抗を押し切って廃藩置県を断行。85年12月には内閣制度が発足、89年2月には極めて限定的ながらも男性に選挙権を与える大日本帝国憲法が公布され、立憲体制が確立された。

 不完全ながらも今の政治の原型といえる形を整えるのは1918年9月、米騒動のあおりを受けて辞任した寺内正毅首相の後継である原敬首相が陸海外3相以外の閣僚を立憲政友会員から起用、日本で初めての本格的な「政党政治」をスタートさせてからだ。今年は明治150年であるとともに政党政治100年でもある。

政党政治の挫折招く

 原内閣の後、二大政党制も実現したが、政争に明け暮れたことで軍部につけいる隙を与え、1932年、犬養毅首相が青年将校に暗殺された五・一五事件以後は軍人出身の首相が続くなどした。

 「世界恐慌が発生し、欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは歯止めたりえなかった。こうして日本は世界の大勢を見失っていきました」 戦後70年に当たる2015年8月に安倍首相が公表した談話の一節である。「国内の政治システム」とは政党政治の挫折のことだ。現代日本の基礎を築いたと位置づけるこの150年を顧みることは、国家を危機に至らしめた太平洋戦争までの経緯を振り返ることでもある。栄光とともに影にも目を向けなければならない。

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