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潜伏キリシタン遺産

2018年7月5日
◆平和と自由確認する契機に◆

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)第42回世界遺産委員会は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)の登録を正式に決めた。江戸時代から明治初期のキリスト教禁制下で独自の信仰を保った歴史を伝える遺産に、普遍的価値が認められた意義は大きい。紆余(うよ)曲折を経ただけに、地元関係者らの喜びはひとしおだろう。潜伏キリシタンを中心に据えたことで、キリスト教に関する数多くの世界遺産の中でも極めてユニークな存在になった。

構成資産変え再提出

 もともと2015年に政府が出した推薦書の名称は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」だった。ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)から「日本の特徴である禁教の歴史に焦点を」との指摘を受けて取り下げ、教会から集落へと構成資産の主体をシフトさせた上で再提出した。

 潜伏キリシタンは耳慣れない言葉かもしれない。16世紀半ば、日本にもたらされたキリスト教は、爆発的な勢いで信者を獲得したが、17世紀に徳川幕府によって禁制とされた。幕府はキリシタンの発見と弾圧に力を注ぎ、殉教者や棄教者が多数出た。そんな中、集落で教えをひそかに継承する人々がいた。幕府の目をかいくぐり代々にわたって固有の信仰を育んだ「潜伏キリシタン」である。

 弾圧は明治に入っても終わらず、政府は幕府の禁教政策を踏襲。幕末維新期の1867年、大規模な信者の摘発「浦上四番崩れ」があり、3千人以上が流罪になった。欧米を歴訪した岩倉使節団が現地で批判を浴び、73年に政府はようやく禁制の高札を撤去した。しかし、この段階は黙認状態であり、制限付きながらも「信教の自由」が認められるのは、大日本帝国憲法の発布を待たなければならなかった。潜伏キリシタン遺産は信教の自由の大切さを知る上でも大きな意味を持つ。

信仰と観光の共存を

 約250年にわたってひそかに教えを受け継ぎ、独自の信仰形態を形成した事実は驚嘆するほかない。イコモスの指摘は妥当であり、ここに焦点を絞って見直した判断は正しかった。

 今回、登録が決定したのは、現存する国内最古の教会で国宝の大浦天主堂、島原の乱の舞台となった原城跡、彼らが暮らした集落など12資産。大浦天主堂は禁教下の65年、浦上から来た潜伏キリシタンとフランス人神父が出会う「信徒発見」の場となった。世界宗教史上の奇跡といわれる。

 こうした教会を含む各資産は、観光資源としてさらに脚光を浴びる。地域振興の起爆剤としての期待も高い。多くは、交通や宿泊が不便な離島や沿岸部にあるため、さまざまな整備が求められるが、まずは祈りの空間の保持が優先されなければならない。信仰と観光の共存が必要となる。登録決定を契機に、平和と自由の大切さを改めて確認したい。

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