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山村留学

2018年4月14日
◆中山間地存続の切り札守れ◆

 薄紫の藤の花、川面に映る照葉樹林、はらはらと舞い散る桜に息をのみながら山道を進む。親元を離れ、西都市銀鏡に飛び込む子どもたちもきっと、この車窓の景色を見て決心を固めたことだろう。県内で唯一、山村留学に取り組む同市の小中一貫校・西都銀上学園(宮元芳幸校長)は本年度、新規留学生8人、継続留学生9人を含む22人でスタートを切った。

人口減を懸念し開始

 1995年度に始まった同学園の山村留学。地域住民の尽力と協力あってこその存続だ。奥日向銀上山村留学実行委員会の事務局、浜砂孝義さん(68)は「生まれ育った銀鏡を守りたい。そのためには損得勘定抜き、死ぬまでやり続ける『からい死に』の覚悟」と話す。もともとバス路線の廃止が検討され、学校の存廃にも危機感が募ったことから西都市に相談、当時市長だった黒田昭さん(90)から山村留学を提案されたという。

 黒田さんは「当時は市町村合併で人口減少が懸念されていた。東米良の人たちの熱心さと親切さ、環境の良さがあれば山村留学がいいのではと考えた。今でも山村留学が続いているのは、東米良の人たちの人情に尽きる」と話す。

 銀鏡に続いて、延岡市北方町・下鹿川小と木城町・中之又小が98年度、西米良村・村所小が2000年度、木城町・石河内小が05年度から山村留学を始めたが、下鹿川小と石河内小が4年間、村所小が7年間、中之又小が11年間でピリオドを打った。現在は村所小を除く3校が廃校になっている。

 銀鏡でも高齢化が進み、里親確保が課題だ。本年度は7世帯が留学生17人を受け入れ、近年は1世帯が2~3人の複数の留学生を受け持つ状況が続く。切り札の山村留学も今や困難に直面している。

子どもの再生の場所

 「負担は大きくても、やっぱり子どもたちの声が地域に聞こえるのはありがたい。学校があっての地域」と話すのは同実行委の甲斐公成会長。8日の留学生歓迎式でも「地区を挙げてあなたたちを待っていた」と歓迎した。

 山村留学は、友人関係などで学校に行けなくなってしまった、豊かな自然に囲まれて生活したい、静かな環境で学びたい、など子どもたちのさまざまな思いを受け入れて癒やす再生の場所だ。

 宮元校長は「子どもたちの1年間の成長には目を見張る。地域の誰もがわが子のように接してくれる昔ながらの温かさ、親元を離れて生活したという自信が大きい。地域の力を感じる」と舌を巻く。

 人口減少と少子高齢化が著しい中山間地域にとって、学校の存続は地域の存続に直結する切実な問題だ。しかし、県内では学校の統廃合が進み、小中学校はこの10年間で404校から366校に減少した。住み慣れた地域で最期まで暮らせるか。それは「中山間地域をどう支えるか」と表裏一体だ。弱体化する集落をただ傍観しているだけでは済まされない。

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