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青木選手2千安打

2017年6月13日
◆ひたむきに努力重ね金字塔◆

 コンパクトなスイングで右に左に打ち分け、ヒットを積み重ねてきた。日向市出身のメジャーリーガー、青木宣親選手(35)=アストロズ=が日米通算2千安打を達成した。プロ14年目で打ち立てた輝かしい金字塔だ。

 日本選手の日米通算2千安打は、マーリンズのイチロー選手、巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜氏らに続き7人目。そうそうたる顔ぶれの中に今回、青木選手が仲間入りした。

猛練習ではい上がる

 日向高から早稲田大に進み、2003年のドラフトでヤクルトから4巡目指名を受け入団。2年目から台頭し、ヤクルト時代の8年間は3度の首位打者に輝き、シーズン200安打を2度記録。12年のポスティングシステム(入札制度)で大リーグ・ブルワーズに入団し、現在のアストロズは5球団目だ。

 試行錯誤しながら、階段を一歩ずつ上がってきたという。青木選手自身「何度も壁にぶち当たり、その度に乗り越えてきた。自分は努力し続けるしかなかった」と振り返っている。

 最初の試練は早稲田大時代。同期には鳥谷敬選手(阪神)、甲子園で優勝経験のある比嘉寿光氏(元広島)ら力のある選手がそろっていた。甲子園出場もなく、特待生でもない中、青木選手は猛練習ではい上がった。持ち味の俊足を生かし、高校時代から光っていた広角に打てる打撃に磨きをかけ、3年時には2番中堅でレギュラーを勝ち取った。

 ヤクルトでも結果が出ない時期があった。入団1年目の2軍生活では、深夜まで黙々とバットを振り続け、翌シーズンの大活躍につなげた。

 メジャー挑戦の際もブルワーズは、本格交渉の前に力量を確かめる異例の“入団テスト”を課すなどしたが、首脳陣の期待に応え、厳しい外野手争いを勝ち抜いた。

野球少年に大きな夢

 ひたむきに努力する姿は、反骨心をバネに、昨年のリオデジャネイロ五輪の競泳で3大会連続でメダルを獲得した松田丈志さん(延岡市出身)と重なる。

 青木選手の野球人生は、小学2年で地元日向の少年野球チームに入ったことが出発点。日向高ではエース・3番で、3年の春の九州大会県予選に優勝。最後の夏の甲子園県予選は準々決勝で敗れたが、優勝候補に挙げられていた。チームメートと白球を追い掛け、野球の楽しさや奥深さを知った小中高校の時代が、青木選手の野球の土台になったのは間違いない。

 今回の偉業は、県内の野球関係者の励みとなるとともに、野球少年には、目標に向かって日々努力する大切さを教え、大きな夢と希望を与えてくれるだろう。

 2千安打について本人は「通過点」と話している。今後どこまでヒット数を伸ばすのか、まだまだ青木選手のバッティングから目が離せない。

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