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いだてんに学ぶ

2019年12月7日
 明日、約1万2千人が宮崎市を駆け抜ける第33回青島太平洋マラソンが開かれる。今年は熊本県出身で日本マラソン界の基礎を築いた金栗四三がドラマで取り上げられて、触発されたランナーも多いと聞く。

 金栗が日本初の五輪マラソン選手として出場したのは1912年大会。「金栗四三 消えたオリンピック走者」(佐山和夫著)によると「40キロを超える距離を走ることなど想像もされない時代」。何も知識がない中で挑んだ彼の奮闘はマラソン初心者の参考になる。

 まず衝撃を吸収するシューズの大切さ。彼はゴムを貼った足袋をはいたが、西欧の石畳は硬く途中落後の一因となった。また当時の練習法は「汗が出ると疲れるから水分を断つ」と言われていた。金栗は水分補給の重要性に気付いていたが、本番では不十分だったようだ。

 このストックホルム大会におけるマラソン当日は40度を超える記録的な暑さで、半数ほどが途中棄権。彼が日射病になったのも無理はない。暑さのために亡くなったポルトガルの選手は体中に油を塗っていた。太陽光線から身を守ろうという独自の方法だったが、発汗が抑えられ裏目に出たらしい。

 ドラマで金栗が編み出した「スースーハーハー」の呼吸法。指導者に聞くと「酸素を多く取り込めれば、それぞれの方法でいい」とか。先人の試行錯誤で市民も楽しめるようになったマラソン。無理せず思い思いの走りを楽しめれば、気分は「いだてん」だ。

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