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大坂城とエレベーター

2019年8月21日
 豊後の戦国大名、大友宗麟が大坂城を訪れたとき豊臣秀吉と重臣たちが同席してのうたげの後、「金屋(かなや)の御座敷」こと黄金造りの茶室に案内された。その時の模様を国元の家臣に伝えた書状は貴重な資料だ。

 「茶室は三畳敷で、天井、壁や障子の骨までも金箔(きんぱく)が押され、見事さ結構申すに及ばず」とあり、お城全般の印象については「詳しく説明しようとすると五年十年かかっても伝えきれない」と形容している(金子拓著「戦国おもてなし時代信長・秀吉の接待術」)。

 天守閣は再建と焼失を繰り返し、昭和初期になって再び復元された。その時、城にエレベーターが設置されたことに触れて、安倍首相が6月、G20大阪サミットの夕食会のあいさつで「大きなミスを犯した」と発言。先天性四肢欠損症の作家乙武洋匡さんらから批判された。

 秀吉は黄金の茶室では自ら茶をたててみせ、天守閣最上層の回廊まで宗麟を案内して、眺望について解説した。書状の日付は天正14年4月6日。没年から逆算すると秀吉の年齢は50歳前後だったと考えられる。肉体も壮健で天守閣まで楽々と自分の足で上れたが体が衰えた晩年は厳しかっただろう。

 障子の骨に金箔を張るほどの凝り性の秀吉が今、天下人なら当然エレベーターを設置したはず。批判された安倍首相も反省していよう。重度の障害がある議員のため国会も準備中だ。東京五輪、パラリンピック前に日本のバリアフリーを大きく前進させたい。

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