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平城京でも牛を食べた

2019年4月14日
 日本人が牛豚をおおっぴらに食べるようになったのは食事が西洋化した明治以降と思われているが、こと牛に関しては奈良時代にタンパク源としていたことが分かっている。

 平城宮内の警護を担当していた衛府(えふ)という役所跡の五つの土坑は、籌木(ちゅうぎ)と呼ばれる木片が出土するためふん尿を処理した穴と考えられている。その土壌調査で発見された牛に由来する痕跡が動かぬ証拠である(設楽博己編著「十二支になった動物たちの考古学」)。

 きょうは「口蹄疫を忘れないシンポジウム『二つのボウエキ』を考える」が都農町で開かれる。2010年の口蹄疫で最初(4月20日)に感染疑いが確認され、全ての牛豚を失ったが力強く復興の歩みを進める現地でのシンポ開催は初。

 宮崎日日新聞社は4月20日を「口蹄疫を忘れない日」にすることを提唱し、毎年この時期にさまざまなイベントを行っている。9年目の今回は農家やJA、行政関係者らが「防疫」と「貿易」を切り口に、持続可能な畜産の姿を考えるパネルディスカッションを行う。

 全頭殺処分で牛豚がゼロになったのは都農のほか川南、高鍋、木城、新富5町。そのうちの一つ川南出身で都内のフランス料理店「モナリザ」のオーナーシェフ・河野透さんに県産畜産物の魅力などを尋ねる公開インタビューも実施する。

 平城京で牛を食したのは警護役の屈強な者たちだっただろう。美味だからという理由だけではなく激務に耐えるための体をつくる特別の食材だった可能性もある。記憶の風化を許さず食についても考えるきっかけにしたいシンポジウムだ。

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