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忘れ草より紫苑を

2019年3月11日
 忘れ草と紫苑(しおん)。ふたつの花にまつわる話がある。昔、ある親が息子ふたりを残して死んだ。何年たっても息子たちは親のことを忘れずお墓に詣でては、悩み事などを伝えた。

 さらに長い年月が経過して、朝廷に出仕した兄はこう考えるようになった。「親のことを思い出しては深い悲しみに沈むという生活を送っていると心の負担が重すぎて、仕事に身が入らない」。そこで、つらいことを忘れさせてくれる忘れ草をお墓のそばに植えた。

 平安時代後期の歌人源俊頼が著した歌論書「俊頼髄脳(としよりずいのう)」の中にある故事(現代語訳・福井栄一)。一方の弟は親を忘れようとする兄とは違って、人の思いをいつまでも心に刻む花とされる紫苑を植えますます足しげくお墓に通ったという。

 東北地方の岩手、宮城、福島など中心に2万人を超す死者・行方不明者(関連死を含む)を出した東日本大震災の発生からきょうで8年。直後の衝撃が少しずつ薄らいで日本は今難しい局面を迎えている。貴い命を代償に得たさまざまな教訓を忘れてはならない。

 昨年秋に宮城県石巻市の大川小旧校舎で市教委、学校側が事前の防災を怠っていたことが児童74人の犠牲につながったと確信する遺族の話を聞いた。一語一語から伝わったのは同じ苦しみを二度とだれにも味わわせたくないという思い。

 俊頼髄脳の弟は、墓守の鬼から夢で凶事を知る力を授かるが地震、台風など最先端科学でも想定外をなくせない領域である。遺族の悲しみは癒えてほしいけれど明日起こるかもしれない災害に備えて植えるのは忘れ草より紫苑の方がいい。

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