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お城のピンチ

2018年10月7日
 「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん)たった四杯で夜も寝られず」の狂歌が流行したペリー来航から近代日本の揺らん期にかけて佐土原藩の果たした役割はけっして小さくなかった。

 わずか12歳で藩主となった島津忠寛と御側家老曾小川久郷ら腹心たちは幕府派と倒幕派との戦いが近いことを察すると、なけなしの藩費をはたいて施条銃200挺(ちょう)を調達、軍隊の西洋式化を進めた。これが後の戊辰戦争における東北での勝利につながったという。

 小欄で強調したいのは、佐土原城中の稲荷谷にあった秘密工場のことだ。そこで造っていたのはにせ金貨。にせと書くと悪いことのようだが、同藩の金貨は良質で戦費調達に威力を発揮した(佐土原城物語維新編ハイライト子供読本)。

 国指定史跡・佐土原城跡(宮崎市佐土原町)の本丸南側斜面が、台風24号による大雨や強風などの影響を受けて崩落した。複数の曲輪(くるわ)が幅数メートルにわたって崩れ、大量の土砂と数百本にも及ぶおびただしい倒木が登城路をふさぐなど、被害は山城全体に及んでいる。

 この城なくば戊辰戦争のすう勢は違っていたかもしれない。にせ金造りは秘密裏に進められたが人の口に戸は立てられぬもの。うわさになるたびに場所を移し、最終的には薩摩藩家老、小松帯刀の許しを得て鹿児島で続行されたという。

 大河ドラマ「西郷(せご)どん」でスポットの当たる鹿児島だが歴史の流れは複雑で、いくつもの支流があって大きな本流となる。その支流の中でも重要な舞台となったお城跡の大ピンチである。関係者の尽力で遠からず元通りになることを願う。

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