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しゃぼん玉

2018年10月6日
 日本各地を野宿旅行した学生のころ。土砂降りの夜、国鉄(当時)城端線(富山県)で人けのない無人駅を見つけて駆け込んだ。爆睡して、朝目を覚ますと足の列が並んでいる。

 「はっ」として上半身を起こすと、通勤や通学の人でいっぱい。路上生活者に見えたのか、すぐそばに座っていた老婦人がぽつり。「言ってくれりゃ、泊めてやらんでもないものを」。恥ずかしさに加えて、見知らぬ人から受けた優しい言葉に涙が出そうになった。

 人の厚意をはなから当てにしていない薄情者と思われた悔しさも入り交じっていたと思う。貧乏旅行は人情の機微に敏感になる。山口県の道の駅で逮捕された30歳の男は、逃亡生活の中で人の情けに感じ入る瞬間がなかったのだろうか。

 むろん自転車の日本一周旅行は逃走のカムフラージュだ。食料や装備品のほとんどは盗品だった。悪知恵に若者らの旅が冒涜(ぼうとく)されたようで怒りを禁じ得ない。大阪府警富田林署から逃走して48日間。世間を恐怖に陥れた男の罪、大阪府警の責任は厳しく問いたい。

 ただすべてが偽装と悪意で始まったとしても、旅先では多くの人情に触れたはずだ。椎葉村を舞台にした昨年の映画「しゃぼん玉」を思い出す。犯罪に手を染めた青年が、逃亡先の村で出会った人々と交流を深めるうちに更生する物語。

 大阪の男は厚意のお礼に道の駅で草むしりをしたという。良心のかけらがあったと思いたい。「甘すぎる」と批判されそうだが、かたくなな心を解かす風土や人情の力がまだ日本に残っていると信じる。黙秘する男に心情を尋ねてみたい。

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